No.066 Sep 2021
TOPICS
〇 第12回横幹連合コンファレンスのお知らせ (拠点:筑波大学筑波キャンパス)
2021年12月18日 (土)、19日 (日) に オンラインによる開催を予定しています。
大会テーマ: 「横幹知」で拓くポストコロナ社会【開催のお知らせ】
〇 会誌「横幹」15巻1号が発行されました。 詳しくはこちら。
COLUMN
『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』の「総合知」と「イノベーション」についての一考察
執筆 武田博直 ( 横幹ニュースレター編集室長、日本バーチャルリアリティ学会 )
2021年度から施行されている『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』においては、「総合知」や「イノベーション」という言葉に特に注目が集まっているという。
ちなみに、同基本計画で「総合知」は、例えば「人文・社会科学を融合した総合知による人間や社会の総合的理解と課題解決」という文脈などで、何度も(35回)登場している。
また、「イノベーションの創出」は「科学的な発見又は発明、新商品又は新役務の開発 その他の創造的活動を通じて 新たな価値を生み出し、これを普及することにより、経済社会の大きな変化を創出すること」と定義されている。(同書 p.10)「イノベーション」については、全部で 179回使われているようだ。ちなみに、「イノベーション」に関連して「バックキャスト」という耳新しい言葉も使われている。
なお、『令和2年版 科学技術白書』には「バックキャスト」が、第一章の冒頭から頻出している。
【『令和2年版 科学技術白書』(第1章)引用ここから】
SDGsの達成には、現状をベースとして実現可能性を踏まえた積み上げを行う「フォーキャスト」ではなく、目指すべき社会の姿から振り返って現在すべきことを考える「バックキャスト」の考え方が重要とされている。
【引用ここまで】
付記するが、上記の「バックキャスト」についての「科学技術白書」の引用個所は、その出典が第1章の末尾に UN Sustainable Development Solutions Network[SDSN]“Getting Started with the SDGs”2015 であると記載されている。
【参考資料】 『第6期科学技術・イノベーション基本計画』 本文
【参考資料】 『令和2年版 科学技術白書』
本稿では、同基本計画に まだ詳細には定義されていない「総合知」に焦点をあてて「人間と社会の総合的な理解と課題解決」について考察してみたい。総合知について考察する理由は、「理解と課題解決」のためにそれが活用されるとされているためである。詳しくは後述するが、本稿では、1999年の「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」をふまえ、「倫理的、社会的、文化的な諸問題、さらには環境、性、経済、保健衛生などの諸問題に対処するための、自然科学も社会科学も巻き込んだ不可欠の学際的な努力」を「総合知」の意味するところと考えている。
更に、今後の横幹連合の活動が「総合知の活用方法」について一視点を提示する可能性があることについても論じたい。後に詳しく述べるが、例えば、2022年に予定されている横幹連合コンファレンスの企画セッションなどを通して、総合知の科学イノベーションへの具体的な活用方法などが、今後議論されるのではないだろうか。
なお、本稿は、いかなる意味でも「横幹連合」による正式なコメントではない。あくまでも、横幹連合ニュースレターの独自取材に基づく記事である。このため、文責も編集室とさせて頂きたい。
先ず、『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』の「はじめに」から引用する。
【『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』「はじめに」引用ここから】
① 科学技術・イノベーション政策は、今後しばらくはどの国においても、二つの大きな方向を常に見据えながら策定されて行くだろう。
すなわち、② 科学技術には、20世紀後半から爆発的に拡大した人間活動に由来する地球規模の危機を克服するための知恵が求められている。
その一方で、③ それぞれの国は、グローバルな協調と調和をうたう様々な国際提言やコンセプトを競い合いながら、自国の競争力強化のための国内改革と科学技術への未来投資の拡大を加速していく。
【引用ここまで。改行と番号付けは、編集室】
基本計画の政策について、ここでは ① 新しい科学技術・イノベーション創出の必要性がうたわれているようだ。
その第一の方向は、② 地球規模の危機を克服するための知恵であり、国際協調により(例えば、SDGsの実現などの機会に)社会に実装される、とされている。その一方で、それぞれの国は、これを ③ 「国家間の競争力強化の改革と、科学技術の未来への投資の拡大」として位置付けるだろう、と政策課題が整理されている。見事な現状分析であるように思われる。
必然的に、同基本計画の「イノベーションの創出」(p.10)という言葉は、そこに書かれている通りの「発明や新商品・新役務の開発などの創造的活動を通じて、新たな価値を生み出し、普及すること」であるのに もちろん間違いは無いのだが、同基本計画の「イノベーション」では、次の意味が強調されているのではないだろうか。
「地球規模の格差や環境問題を解決するための『全く新しい科学技術』で、主に国際協調によって社会実装されるもの。」
つまり、具体的に言えば、SDGsの問題解決に資するイノベーションがその代表である、ことにもなるだろう。すると、イノベーションがバックキャストと併せて論じられている文脈にも、納得ができる。(『令和2年版 科学技術白書』第1章など。)
2030年という SDGs「達成の目標年」に地球環境が持続可能な(Sustainableな)状態になっていることを信じ、そこで真剣に、その達成を「目指すべき社会の姿から振り返って現在すべきことを考える」(『令和2年版 科学技術白書』)という、つまりバックキャストの考え方が、SDGsを達成する研究についての主要な方法である、と、ここでは指摘されているからだ。(しかし、SDGsの目標が精査されて、科学技術に関する 2030年の達成目標年は先伸ばしされる可能性が高い、とも考えられているそうだ。)
繰り返すが、新しいイノベーションについては、SDGsの 17ゴールの達成のために「新しく」創出される科学技術が強く意識されている。その科学技術は、今現在は、まだ世の中に存在しない。そのイノベーションの活用で、自国の競争力が強化されたり未来投資につながったりもする、そういった科学技術の創出が期待されているというのだ。
以下は、筆者の私見である。
同基本計画には、次のような「補助線」を書きこんで解釈することによって、理解が深まるのではないだろうか。例えば、SDGsの達成目標を「人類が失敗してしまった場合」という補助線を入れてみよう。
映画会社は、ただちに低予算で、17本以上の パニック映画を製作することができるだろう。
「地球環境の悪化は、主に人類が引き起こした可能性が高い。例えば、18-19世紀の乱獲で、北米にいたラッコは絶滅した。」 「もし仮に、2050年頃に地球環境の悪化が ものすごく進めば、海水面の上昇や台風の頻発、先進国の大都市の水没が日常的に見られるだろう。」 「地球環境の悪化で、ウミガメの絶滅といった ものすごく大きな生態系の変化と、人類への悪影響が生じる可能性もある。」
また、
「地球環境の悪化した未来社会では、地上に残された食料というのは主にドッグフードの缶詰で、それを犬と分け合って食べることになる。」 「地球環境の悪化した未来社会では、人類が地球を捨てる火星移民計画なども真剣に検討される。」 「地球環境の悪化した未来社会では、先進国が先進国市場向けの商品ばかり作って、自国だけ儲かった、と喜ぶことが無意味になる。」
逆に、現在「SDGsの問題解決に資するイノベーション」が論じられているときに、世間がパニックと共にこれを報じない理由は、「SDGsの前身の 2001年から2015年までの MDGsでは、目標の多くが達成されている」ことが理由である(後述する)。「人類も、やればできるじゃないか」という科学技術者への期待は、上記の補助線として紹介した人類の危機を回避するだけでなく、その真反対の期待を生むことにもなったようだ。
イノベーションを多く実現した国家が、③ 地球環境改善への大きな競争力と発言力を持ち科学技術への信頼を取り戻す期待、である。
以上の考察をふまえて、ここでは「総合知」について、どうあるべきかを考えてみたい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1999年に、ユネスコと国際科学会議(ICSU)の共催で、通称「ブダペスト会議」(世界科学会議 1999年)が開催された。このとき、先述した「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(以下「科学宣言」)が採択されている。ちなみに、 ICSUは、純粋科学・理学研究者の学会・アカデミーの集合体である。(現在は、ICSUを継承する国際会議がある。)
この宣言には、次のような注目すべき見解が含まれていたという。
宣言に曰く。科学は科学のためだけにあってはならず、有益な知識のため、平和のため、開発のため、そして社会の中に存在する科学という意識に基づいて 社会のために役立つものでなければならない。
このような先見的な内容が、このとき宣言されたそうだ。
包み隠さずに言えば、それまでの「科学研究」のイメージは、「未知の現象についての観察・実験・理論計算などから、普遍的な原理などが発見されて、それが Goal だった」ということだろう。論文を書き終えたら、それ以上に科学者のすることは何もないと思われていたのではないだろうか。
ところが、1970年代から「地球環境は有限で、人類の科学技術がその悪化を加速している」ことが問題になり始めたという。したがって、科学宣言の言っている通り、
科学は科学のためだけにあってはならず、
社会の中に存在する科学という意識(住民などからの期待)に基づいた、
地球規模の環境の悪化に対処する、新しい科学技術の創出と国際協調
が、科学者には要請されることになったと思われる。
平たく言えば、学生や近所のおじさん、おばさんが「ニューヨークに豪雨と巨大な高潮が押し寄せる」環境パニック映画を観た後に、国際科学会議に出席していた科学者・技術者が近所で街を歩いているのを見かけたら、「あの人たちが何とかしてくれるだろう」と期待するのが当然だ、ということである。宣言に曰く。科学は科学のためだけにあってはならず、社会のために役立つものでなければならない、ということが常識になったためではないだろうか。
例えば、2020年からコンビニのレジ袋が有料になり、地球環境の保全は一般住民の関心事となっている。レジ袋に象徴される地球環境悪化と真剣に向き合っているのは、第一には、研究者たちではないだろうか。
研究者には、新しく開発された科学技術が実装されて新たな環境問題(ウミガメとレジ袋のような)が生じないことを検討する作業も、既に要請されている。更に、現在の環境破壊を解決するような「持続可能な戦略に基づいた新しい科学イノベーション」を創出することが個々の研究者にも期待されているようだ。考えてみれば、当然の話だろう。なぜなら、研究者たちは「プロの科学者」「プロの技術者」だからである。
世界の研究者には人類の代表として、人間活動に由来する地球規模の危機を克服する知恵が求められているのではないだろうか。
【参考資料】 「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」 翻訳
そのために、この1999年の会議では「持続可能な発展」に資する科学技術について、特に詳しく議論されたようだ。また、宣言に曰く。「科学的知識は(現在の)財の生産の不可欠な要素」となっていることも、同時に指摘された。
例えば、最先端の科学的知識の偏在という問題も、そのときに指摘されているそうだ。
開発途上国の研究者、特に女性の研究者が、自然科学や自国の環境・衛生の緊急の課題などを解決するために(民主的に)科学的知識のデータベースにアクセスを試みた場合などを考えてみたい。世界のインターネット普及率は、1999年当時は 6%以下だった。科学的知識へのアクセスが国によっては著しく制限されていた当時の状況は「研究の南北格差」を生んでいたことが理解できる。したがって、この科学宣言では、途上国の研究環境に先進国との不公平があることを大いに問題視していたが、それはその当時としては当然のことだったと考えられる。ちなみに、2015年にはインターネット普及率は 43%にまで増加して、研究格差には かなりの改善が見られるようになった。ともあれ、科学が「社会の中に存在する科学」である以上、 1999年当時の状況は許されることではなかったと想像される。
補足しておくが、1999年の宣言当時、その内容には、科学技術の未来への「投資」といった前向きのニュアンスは皆無だったと思われる。どちらかといえば、先進国による後進国の「無償開発援助」のような意味合いが強く、儲からないけれど「科学技術への信頼を取り戻す」には必要なことだからと書かれているようにも読める。したがって、新しい科学イノベーションを起こした国が「地球環境改善への大きな発言力」を持つことなども全く気づかれなかったのではないだろうか。そもそも、この科学宣言は、「ユネスコが世界の科学者(国際科学会議)にお願いしたもの」という性格を持っていたので、その意味では納得のできる議論が行なわれたとも読めるようだ。
ところで、この 1999年の世界宣言に「いいね」を出したのが、国際連合である。
2001年に始まった上述の国連主導の「MDGs」(「SDGs」の前身)では、次のような大きな成果が見られたそうだ。その ほんの一例だが、
「極度の貧困人口の割合を( 1990年比で )半減させるという目標を、MDGsは 2010年に達成させた。」 「安全な飲料水にアクセスできない人の割合を、1990年の 24%から2015の 9%へと半減させた。」 「インターネットの普及率は 2000年時点の 6%が、2015年には 43%まで増加した。また、2015年には、世界人口の 95%が携帯電話による通話可能領域にいるようになった。」
このような十分な成果が「MDGs」においては、2015年までに達成できたという。
MDGsでは、その目標として、8つのゴールと 21のターゲット項目が掲げられていたのだが、全体として「成功裏に終結した」と評価されたそうだ。(横幹ニュースレター No.059 参照)
このことは、国際社会で大きな驚きと共に注目されたという。
1999年の科学宣言を発したユネスコの側では、「MDGs」が開始されると同時に「ユネスコは 100%、MDGs(と SDGs)の国際目標を支援します」というメッセージを出したという。その内容が、当該の科学宣言をふまえた「持続可能な発展に資する科学」を最重要視する国際目標だったからだろう。ここでは詳しく触れないが、TWI2050などの国際的な持続可能な発展のための科学を研究する機関(科学研究イニシアティブ)が、バックキャストを SDGsの問題解決手法の中心に置いているのだという。1999年の科学宣言の重要さが MDGsの成功を通して理解された、とも言えることから、その結果、2015年からの「問題解決のための新しい科学イノベーション」にはバックキャストが望ましい、という認識が広がったのかも知れない。そもそも SDGs自体が、2030年(2050年?)に「こんな世界になれば良いね」というバックキャストの計画だったから、ではないだろうか。このように、SDGsと「科学者のコミュニティ」の間には、2015年を境に急速に接近する条件が整ってきたようにも思われる。
【参考資料】 SDGs
【参考資料】 MDGs
【参考資料】 TWI2050
一方で、2015年の MDGsの成功を聞いて、それまで全く冷淡で「後進国への科学技術の無償開発援助」なんて儲からないし興味ないね、と思っていた世界各国の政府が、科学技術の未来への「投資」に突然、目覚めたようだ。これには、21世紀初頭に数多く製作されて大ヒットした「地球環境悪化」のパニック映画の影響も大きかったのかも知れない。映画では、科学者に「地球環境の悪化をふせぎ、大都市の崩壊をふせぐ」救済者のイメージが付与されていたからだ。
先進国の政府は、自国の研究者を経済的に支援することが、同時に、途上国を人道的に援助できて「人間活動に由来する地球規模の危機を克服する魔法の杖の一振り」になり、またその援助が成功した暁には「自国の競争力強化のための国内改革」が達成されている、という「一粒で 3度おいしい」施策目標を SDGsの達成目標を通じて手に入れた、と考えたのではないだろうか。
さて、以上の考察を経たことで、『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』には、SDGsを「特に強調して」、ここで述べている「新しい科学イノベーション」が SDGsの問題解決に資するイノベーションのことですと明示「されなかった」理由もまた、推測できるように思われる。
(これは、あくまでも編集室の文責による推測であるが、)ここでは、SDGsに照明が当たりすぎると、「当研究室の研究対象は昭和xx年以来変わっていないが、製品化におけるイノベーションの研究であり、SDGsとは無関係だ」というクレームが出ると想像されたためではないだろうか。地球の危機を救う科学イノベーションと、従来の「製品開発」の研究などにおけるイノベーションやアブダクション(ここでは説明しない)の「どこがどう異なるのか」についての考察が、基本計画には無いためである。
また、「SDGsの問題解決に資するイノベーションである」と不用意に書くことで、将来の科学インフラへの国家的な「投資」であるというニュアンスが生じてしまい、本来儲からないから国家が支援している助成事業で、非営利であるはずの「基本計画」の性格と相いれないと思われたためかもしれない。「儲かりそうだからやるのか、儲からなくても必要だからやるのか」の問題は、この後に論じる。
ともあれ、SDGsがスタートして以来、科学は社会のために役立つものだとする社会からの研究者への期待は明らかに高まりつつある。SDGsに関わる科学、関わらない科学であることに関係なく、科学者には「アウトリーチ」がこれまでより以上に必要になってきた、ということについては間違いがないように筆者には思われる。
そこで、もう一度、1999年の科学宣言を改めて「総合知」の観点から読み直してみよう。
科学宣言に曰く。科学は科学のためだけにあってはならず、有益な知識のため、平和のため、開発のため、そして社会の中に存在する科学という意識に基づいて 社会のために役立たなければならない。・・・これは具体的に、どういうことだろう。
先ず、文部科学省が 2015年以前に助成対象としてきたのは、主として次のような科学研究だったのではないだろうか。これまでの助成対象は、「未知の現象についての観察・実験・理論計算などをして、普遍的な原理などを発見・解明するための研究」が、ほとんどであった。素人には複雑すぎて理解できず、だからこそ専門家が育成され、彼ら自身の倫理で誠実に研究が行なわれてきた。「理解して貰えるかどうか分からないアウトリーチの活動などに時間を割く必要は無い」と考える研究室の主催者も、大勢いたのではないだろうか。
ところが、である。環境パニック映画の大ヒットや、レジ袋の抑制などで一般地域住民の地球環境問題への関心が急速に高まってしまった。
そこに、たまたま 2021年からの「第6期の基本計画」が発表された。
すると、これまでその研究室が「どのような研究姿勢で公的な研究助成を受けていたか」には関わりなく、科学者を取り巻く社会の側の意識が変化したことによって「研究者という存在は、社会のために役に立つ科学技術を研究している人のことで、知識のため、平和のため、開発のためになる研究をしている人だ」と社会から認識されるようになってしまったのだ。これは、SDGsの課題が「人類すべての未来に係わる問題」だったことから、2015年を境に起きた変化である。従って、科学研究の助成申請に書かれる研究理由も、この社会からの認識を踏まえる必要が出てきたのではないだろうか。
研究者が「あの研究」ではなく「この研究」を対象に選んだことが「どういう意味」を社会的に持つか、が問われ始めているようだ。
ところで、システムの社会的な「意味」を問うのは、自然科学ではなく社会科学の領分である。
以上の考察で、「第6期の基本計画」を「読む側」、助成を求める申請書を書く側としては、「基本計画には、ここまでの必要要件を書いておいて欲しかった」という意味からの「新しい科学イノベーション」の概念が明瞭になったのではないだろうか。2021年度からの『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』で、一番歓迎される研究内容は、
SDGsの問題解決に資する「バックキャスト」に基づいた新しい科学イノベーションである、
ということになる。だからこそ、③ 「国家間の競争力強化の改革と、科学技術の未来への投資の拡大」として位置付けられているのだ。
そして、この新しい科学イノベーションは、SDGsなどを通じて「現実に社会実装されること」を前提としている筈だ。「社会実装されること」を前提としている科学技術なので、例えば、途上国での社会実装では、社会学者などの協力を得て、伝統社会との軋轢や 既得権者などからの反発を事前に回避できる方法を考えておく事などが必要になるだろう。ここに挙げたのは ほんの一例だが、自然科学者と社会科学者の共労は、今後の科学技術研究では「不可避」となるのでは、ないだろうか。
こうした考察をふまえた上で、「総合知」を簡潔にまとめておきたい。
1999年の「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」から、第4節を引用する。
Today, whilst unprecedented advances in the sciences are foreseen, there is a need for a vigorous and informed democratic debate on the production and use of scientific knowledge. The scientific community and decision-makers should seek the strengthening of public trust and support for science through such a debate. Greater interdisciplinary efforts, involving both natural and social sciences, are a prerequisite for dealing with ethical, social, cultural, environmental, gender, economic and health issues. Enhancing the role of science for a more equitable, prosperous and sustainable world requires the long-term commitment of all stakeholders, public and private, through greater investment, the appropriate review of investment priorities, and the sharing of scientific knowledge.
今日、科学の分野における前例を見ないほどの進歩が予想されている折から、科学的知識の生産と利用について、活発で開かれた、民主的な議論が必要とされている。科学者の共同体と政策決定者はこのような議論を通じて、一般社会の科学に対する信用と支援を、さらに強化することを目指さなければならない。倫理的、社会的、文化的な諸問題、さらには環境、性、経済、保健衛生などの諸問題に対処するには、自然科学も社会科学も巻き込んだ、学際的な努力が不可欠である。より公正で、豊かで、持続可能な世界の実現に向けて、科学の果たす役割を強化するためには、投資の拡大、その優先順位の見直し、科学的知識の共有などを通じて、官民すべての関係者が長期的な関与をしなければならないのである。
ここには、「自然科学と社会科学を巻き込んだ、より大きな学際的な取り組み」(Greater interdisciplinary efforts, involving both natural and social sciences)が、
「倫理的、社会的、文化的な諸問題、さらには環境、性、経済、保健衛生などの諸問題に対処するための前提条件である」 (a prerequisite for dealing with ethical, social, cultural, environmental, gender, economic and health issues) と明記されている。
つまり、新しい科学イノベーションに求められる「前提条件」が、自然科学と社会科学を巻き込んだ学際的な研究姿勢なのではないだろうか。私見だが、この科学宣言は「持続的な発展の戦略(sustainable development strategies)」まで掘り下げた画期的な内容であると考えられ、更には、上記の第4節に「学際的な努力」すなわち自然科学と社会科学を巻き込んだ総合知がこの問題に対処するための前提条件だ、と書いてあることがその主な理由である。
従って、『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』では、このパラグラフを「総合知」の典拠として引用して差し支えないと、筆者は感じている。
付言すると、SDGsについては、他国の研究動向を垣間見た「重要そうな目標」の「あと追い研究」が無意味だということも明らかではないだろうか。
もし、SDGsの名前が付された「紛らわしい研究」のテーマ選定に、社会学者が「意味の顕示」の部分で参加していなければ、その研究は、誰がどういう状態の途上国などの問題を想定していたのかが「あいまい」になる可能性が大きい。「普遍的な原理などを発見するため(だけ)の研究」を、事前のリスク検証なく社会実装することは、2011年の大災害で「地球環境レベルの危機」を招いたことなどから考えると「危険」ですらあるのではないだろうか。しかし、だからといって、するべきではない、と言っているのではない。SDGsに関連した研究については「社会実装されて課題を解決することが前提」なのだから、どんな事情があってもその研究には社会学者の参加が必要なのではないだろうか、と言いたいのだ。例えば、レジ袋のような「小さな発明」でも、地球規模の大問題になってしまっていることがその理由である。そして、その前提条件が、③ 自国の競争力強化のための国内改革と科学技術への未来投資の拡大につながるのではないだろうか。
(なお、本節の執筆には「第二種基礎研究」Wikipediaと、吉川弘之著『科学者の新しい役割』 2002年、岩波書店 を参考にさせて頂いた。)
ちなみに、吉川氏は、社会科学者の参加によってその研究の意味(意義)が記述されることで、次のようなジャンルの研究が今後盛んになり「科学技術研究の一般領域」となることを予想している。私見だが、日本人の「お家芸」の領域にもなりそうな可能性が感じられる。
science and technology for society 「社会のための科学技術」
technologies aimed to resolve social problems 「社会問題の解決を目的とした技術」
technologies attainable by the integration of natural sciences and humanities and social sciences
「自然科学と人文科学および社会科学の統合によって達成可能な技術」
technologies with which market mechanism do not work easily 「市場メカニズムがうまく機能しない技術」
出典:社会技術研究開発センター(RISTEX)の英文ホームページなど。
このような「新しい科学イノベーション」は、従来型の研究の延長には存在しない。
また、問題になるのは、科学技術者は一概に、システムの意味を社会に対して説明するという訓練を、これまで受けてこなかったという点である。
瞥見だが、上述した「システムの意味の社会的説明」は、ごくわずかに、横幹連合での講演が「文理を含めた聴衆」との間で議論になるような場合(本稿の次の節で紹介する)や、国際学生対抗VRコンテスト IVRCの参加学生が、日本VR学会大会のセッションなどに登壇して、短くその新しい VR作品の機構を説明する機会に(これは国際学会での発表の体験訓練として行なわれているものだが)作品タイトルなどに込められた研究の「意味」が会場の質問者との間で やり取りされる際などに見られる程度であった。(注)
【参考資料】 IVRC https://ivrc.net/ 作品アーカイブス http://ivrc.net/archive/
(注)VR学会大会などでの登壇体験は、IVRCの参加学生や高校生に「作品に VR技術が実装される意味」を考えて貰う貴重な機会でもある。個人的には、IVRCに多くの学校からの応募参加が望ましいと考えている。また、公的な援助も望ましいように思われる。
繰り返すが、その研究が、倫理的、社会的、文化的、さらには環境、性、経済、保健衛生などに関して「どういう意味」を持つのか、そもそも開発しても構わない科学技術なのか否かを、科学技術者は、社会のステークホルダー(利害関係者)に対して「説明する」責任が「もともとあった」という可能性も考えられるだろう。もしかすると、科学技術研究には、(例えば)20世紀初旬にマックス・プランクが「科学の人間からの離脱」を問題視して以降にずっとその意味について語る必要があったのだが、無視して気づかないふりをしてきたのが MDGsで明らかになっただけだとも言えるかも知れない。ともあれ、自然科学の領域の研究者が「研究の意味を語る」ことが もしも不得意なのであれば、
社会学者が「誤解が生じないよう助言する」こと
は当然のことではないか、とも考えられる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ところで、横幹連合(横断型基幹科学技術研究団体連合)は、「横断型科学技術の重要性について」研究する目的で 2003年に発足した。これまでに、『横幹〈知の統合〉シリーズ 価値創出をになう人材の育成』(2016年)なども発行している。横幹連合では、毎年、横幹コンファレンスを開催しており、文理に亙る研究者が発表や聴講をしている。このような機会に質問などで「その研究の社会的な意味」が明らかにされる機会がこれまで多かったことを、本稿では指摘しておきたい。
(例えば、『横幹〈知の統合〉シリーズ カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』2016年は、横幹コンファレンスの Kawaiiについての企画セッションでの文理を超えた登壇者の昼食会をきっかけに、まとめられた刊行物である。)
ここからは、模擬的に「商品開発のイノベーション」を、例えば、の発表事例として考察したい。(取り上げるのは、先進国での自国民の購買を想定した新商品の開発である。) ちなみに、ここで模擬的事例として取り上げる書籍の当該章の著者は、物故者である。それ故に、ここで勝手に筆者が内容を紹介することは大変失礼であるとも思ったのだが、内容に感銘を受けたことで編集室の文責でその一部を抜粋させて頂くことにした。たまたま、筆者が『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』のイノベーションについての考察を始めた際に、それと比較して、従来の「商品開発のイノベーション」の開発プロセスはどうだったのだろう、と調べ始めた時の手元にあったのが 2007年に刊行されたこの書籍だった。その著者は(2013年に亡くなられたので)、MDGsや SDGsを想定した新商品については意識されていない。だからこそ、比較には適当であると考えた。また、本稿執筆の段階で、著者の所属学会の方々にもご相談するのを控えた。以下の内容が、仮定を何重にも含むためである。したがって、文責は編集室である。
さて、『商品開発・管理入門』(中央経済社、2007年)の第一章「商品開発の基本」を参照して、次のことが分かった。ここでは、著者の横田澄司氏(故人)が、次のように問題を簡潔に整理している。最初に、同書では「商品開発・管理」の定義を、「新しい市場の創造と その商品を核とする新産業の振興・育成である」と捉えていることが紹介された。そして、商品開発の「イノベーション」は、「高付加価値商品の開発」であると(ここでは)考えているそうだ。
冒頭の章では、最初に「ソニーで開発担当者に尊重され、精神的支柱になっている」という総合研究所宮岡千里氏の次のような「研究5原則」が紹介されている。
第1原則:その研究は、新しいビジネス領域を開拓できるか。
第2原則:その研究は、ソニーのどのビジネスに、いつ役立つか。
第3原則:その研究は、どこにオリジナリティがあるか。
第4原則:その研究は、世界のトップ・レベルにあるか。
第5原則:その研究は、事業部が剥ぎ取りに来るほど魅力的か。
そして、同書の推奨するアプローチとして、「新しい市場・新産業の育成」という理念を具体化するために、次のような「計画書」(仕様書)を作成する方法が紹介されている。(ソニーに限定した事例ではないことに注意。)
「商品名」「開発目的」「用途」「対象(顧客のプロフィール)」
「商品コンセプト(イメージ、キャッチなど)」
「設計図」「素材と部品」「使用する機械設備」「加工手順(PERT)」
/ 「完成図」 /
「原価表、必要経費」「日程計画」「担当者リスト」
「試作品提出日時と検討会日時」
「生産数量」「生産上の留意点」「販売上の留意点」
(同書 pp.16-18から抜粋。なお、段落分けは、本Columnの筆者が内容から考えて行なった。)
本Columnの筆者は、VR 大型アトラクションの開発に製作者として関わった経験を持つが、分野を問わず、「商品開発」に何らかの経験を持つ研究者には思い当たるところが多い計画書だろう。例えば、海外での販売を想定して、事前に社会学者と開発担当者が討議をして仕様が決められた途上国向けの開発などは、「生産上の留意点」にその内容が特記される。また、「販売上の留意点」に、その新商品が仮に西欧で販売される際の室内の保存「湿度」についての留意や、海外での「文化の違い」で使い方が制限される場合の販売員への注意事項などが書きこまれる筈だからである。私見だが、横田氏の研究アプローチが当初は企業の組織心理学への関心だったことから、一般的な消費財(商品)のイノベーションについての研究においても「高付加価値であることの意味」が着目されたための成果、ではなかっただろうか。
ということは、非営利のSDGsの新しいイノベーションを考える際にも、2015年以前の一般的な商品開発についての知見を「全くかえりみない」「捨ててしまう」必要は皆無だということになりはしないだろうか。むしろ積極的に他学会の知見を参照して、バックキャストなどの新しい手法についても、研究者の研究対象への「社会への説明責任」という大きな文脈からそれらがどういう意味を持つかを考えることが、SDGsに対してとるべきアプローチだとは言えないだろうか。特に「総合知」の目標とされる「人間、および社会の総合的な理解と課題解決」に関しての議論については、例えば、2022年の横幹連合コンファレンスの企画セッションなどで検討されることが望ましいと考えられる。文理の枠を超えた議論が深められることで、その課題についての理解が進むのではないだろうか。
ところで、話は変わるが、『第6期 科学技術・イノベーション基本計画』から少し離れて「企業イメージ」についても少し考えてみたい。
SDGsに係わる民間企業のイメージから考えると、「新しいイノベーション科学を『てこ』にして途上国の環境を改善すること」や「途上国の生活水準を引き上げること」という SDGsに準拠した企業活動は「企業イメージ」に確実にプラスに働くことだろう。こうした背景から、各国の政府が自国のベンチャー企業を支援して、その研究内容が事業として具体的に実装される機会も増えているようだ。
これについては、横幹ニュースレターでは「オープンイノベーション」についての技術フォーラムの紹介記事で、次のような事例を紹介した。
例えば、フランスの個人起業家が支援する「Station F」では、約5千名の IT技術者などを集めてパリ近郊に世界最大のスタートアップ・キャンパスが構築されているという。
ブラジルでは、大銀行が支援しているクーボ「Cubo」という南米最大のスタートアップ拠点が、大企業とのビジネス創出加速の連携を目的に運営されているそうだ。
また、ポルトガルのリスボン市では 35000㎡の元の軍需工場に設けられた「Hub Criativo do Beato」という施設がポルトガル政府と市の支援を受けて多くのスタートアップ企業を集めているという。特に「破壊的技術」と呼ばれている「既存のテクノロジーを用済みにするイノベーション」に関しては危機意識がもっと強く持たれるべきで、大企業が足場にしている市場が新興企業に破壊的に奪い去られるリスクには真摯に備えるべきではないか、とする傾向が世界的に見られるそうだ。
(横幹ニュースレター No.061 June 2020掲載。株式会社NTTデータ、オープンイノベーション事業創設室室長=講演当時=の残間光太郎氏の紹介による。)
個人的な感想だが、上記したフランス、ブラジル、ポルトガルなどでは、国家の優遇を受けることで「自分の研究したイノベーション技術が、後進国に社会実装されるまでのスピードが速い」と世界の研究者が感じる機会も、今後増えるかも知れない。その可能性を見て、多くの日本の若手科学者が海外のインキュベーション施設に移籍してしまう可能性についても、これからは考えておく必要があるかも知れない。
もちろん、海外のスタートアップ・キャンパスの研究開発は SDGsに限定されたものばかりではない。それ故に、この後の議論については、今後の横幹連合の公開討議などの中などで深められることを個人的には期待している。
最後に特記するが、本稿に関する異論・反論を大いに歓迎している。是非、横幹事務局を通じてお知らせ下さい。なお、ここにお名前を挙げた方々の引用内容に誤りがあった場合は、その責任は編集室にある。
このため、今回の本稿は全体を編集室の文責とさせて頂きたい。
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