No.73 May 2023
TOPICS
〇 横幹連合の2023年度定時総会および創立20周年記念式典がハイブリッド形式(対面+オンライン)で開催されます。
日時: 2023年6月13日(火)
場所: 東京大学 山上会館 (本郷キャンパス)
詳しくは、こちらをご覧下さい。(懇親会のみ有料です。)
〇 第14回横幹連合コンファレンスは、2023年12月16日(土)、17日(日)に東京大学本郷キャンパス(東京都文京区)を拠点としてハイブリッド形式(対面+オンライン)で開催される予定です。
詳細は決まりましたら、順次お知らせいたします。
〇 新しい「横幹図」が作成されました。Columnに、特別記事第3回を掲載しています。
新しい「横幹図」作成の詳しい経緯は、会誌『横幹』16巻2号 (企画・事業委員会)をご参照下さい。
◎ 横断型基幹科学技術(「横幹科学」)は、科学技術分野を横断する束ねる知として「異分野を俯瞰する事実知」「統合する使用知(構成知)」「社会的期待を発見する意味知」に関わる知見を追究します。
◎ 横幹科学は、既成概念にとらわれない持続可能な社会に向けたイノベーションを生み出す「知のプラットフォーム」の形成を目指します。
◎ 横幹科学は、知のプラットフォームを社会実装することでスマートシティ、健康・医療などの具体的な社会システムの構築に寄与し、持続可能な目標(SDGs)の達成と Society5.0の実現などに貢献します。(Society5.0ロゴは内閣府ホームページより)
COLUMN
吉田民人氏の”「新しい学術体系」の必要性と可能性”(2001年)再読
(特別記事 ”新しい「横幹図」が作成されました” 連載3)
文責:横幹ニュースレター編集室 武田博直(日本バーチャルリアリティ学会)
”新しい「横幹図」”はいくつかの構成要素から成り立っているが、「事実知」「使用知(構成知)」「意味知」をより深く理解するために、横幹ニュースレターNo.073(本号)では「学術の動向」2001年12月号の吉田民人氏による”「新しい学術体系」の必要性と可能性”を再読させて頂く。なお、吉田氏は2009年に、また文中に引用された中山茂氏は2014年に大変惜しまれつつ逝去された。本稿にはお二人の著作から引用を行なったが、その内容についての著者校正は不可能となったことから本稿は僭越だが執筆者の文責とさせて頂きたい。
・吉田民人氏の「新しい学術体系」 【本論考】
吉田氏は 論考”「新しい学術体系」の必要性と可能性”(以下「本論考」)の冒頭に、これは「科学論の新しいパラダイム転換」をその核心にすると宣言された。それは、通常科学の活動のまさに逆に位置しているのだという。「パラダイム」についてはすぐ後に記述する。
ところで2001年に「本論考」が執筆された当時は、ここで主張されたように科学全体の基本パラダイム(吉田氏の言葉では「大文字の科学パラダイム」)を「再検討する必要が生じている」というラディカルな「問題提起」は、まだその必要性が十分に認識されておらず国際的にも先行事例がなかった。その理由の一つは、日本の科学者コミュニティが その必要性・最重要性に気づいたのが 3.11「東日本大震災」の時で、それが 2011年のことだからである。それで、2001年の「本論考」に氏は、これはまだ「新しいパラダイム候補」の自覚的・無自覚的な提示であると述べるに留まっている。ただし、それは 21世紀に最重要視される「長期的・大局的な科学自体の課題への取り組み」であることが明らかなので、この科学パラダイムの見直しにあえて取り組もうとする科学者には「国際的な科学者コミュニティのフロントランナーを目指す、と時には力んで欲しい」と氏は強く主張した。吉田氏が考えた「21世紀の新しい大文字の科学パラダイム」にとても近いパラダイムの科学を私たち科学者は現在「横幹科学」と呼んでいる、と執筆者は理解しているのだが、これについては後述する。また、ここでは「本論考」の単に要約を記することが目的ではないことも、最初にお断りしておきたい。
ちなみに、パラダイムとは米国の科学史家トーマス・クーン氏が唱えた概念で「特定の時代に規範となる科学的な物の見方や価値観」を表わすという。科学思想史の坂本賢三氏が科学史の国際会議でクーン氏本人に「最初から”パラダイム”と名付けていたのですか」と尋ねたところ、「最初は(科学コミュニティの)”ドグマ”(固定化された強固な信条)と呼んでいました」と答えたそうだ。特徴として、あるパラダイムの一部を構成している個別科学が別のパラダイム(信条)に取り込まれると、その科学は従来とはまた別の側面を見せるという。
吉田氏が(旧い)「大文字の20世紀の科学パラダイム」は再検討の必要がある、と考えて「新しい学術体系」についての考察を始めた動機は(「本論考」によれば)科学史家 中山茂氏の独自に立てた20・21世紀のパラダイムについての提言がきっかけだったそうだ。
科学史では、16・17世紀に近代科学の「定冠詞付・単数・大文字の科学革命」の起きたことが定説とされている。(以下は執筆者による要約だが)その頃の西欧教会では、”地球上の大自然、そして大宇宙や『聖書』は神様が自ら書き記された書物である”とする観点からアリストテレスなどの自然観(主に有機体論)が正統であると宣言して「異端である地動説」の科学者を火あぶりの刑に処していたそうだ。しかし、教会の主張の誤謬を「実験と数学」によって正したのが、ガリレオ・F ベーコン・デカルトなどであり、彼らの活躍で今日のように「機械」の重んじられる科学が成立した、とするのが「教科書に載っている」機械論の科学史観である。しかし、クーン氏が提言されたのは「複数・小文字の科学革命」であり、個別科学の社会的な役割・重みが社会の科学観(パラダイム)の変化の中で変わって行くことが、あるとき大きなパラダイムの変化として誰の目にも明らかになることの表徴だと指摘された。吉田氏は(パラダイムが複数あった内の)20世紀を象徴していた大文字の機械論の科学が、21世紀に価値を持つ別のパラダイムに変化するだろう、いや、それは必要な変化なのだという意味から「大文字のパラダイム」という言葉を造語したと考えられる。
ここで中山茂氏の提唱した「20・21世紀の科学パラダイム」を紹介する。
(表1)
出典は中山茂著『20・21世紀科学史』(2000年)。なお、同書は「特徴」に「不変」「変化」「仮想」と記している。
この表では執筆者の文責で、小学館の総合誌『創造の世界』30号(1979年)掲載の「科学思想の源流を探る ‐ ヘルメス主義的伝統をめぐって」という坂本賢三氏の講演から引用して上図の「特徴」を書き換えさせて頂いた。中山氏の『科学革命の時代』という訳業(H. カーニイ著、高柳雄一氏との共訳)に照らして、その書き換え(明瞭化)を諒解して頂けると考えている。この表では「ディジタル」のパラダイムが坂本氏の挙げた「ヘルメス主義科学」の特徴にそのまま重なるため、それをあえて行うことにした。また、舘暲著 『バーチャルリアリティ入門』(2002年)を論拠に「仮想 → バーチャル」を書き換えた。
坂本氏の「科学の三つの源流」については別述する。執筆者が(表1)に記した「表象」は「シンボル・記号」を含む概念でヘルメス主義科学では「意味」を明示・伝達する。「対応・感応」はコレスポンデンスの訳語で、人と社会を宇宙を「モデル」に類型化することで「ヘルメス主義」の一側面を特徴づけている。 科学の三つの源流は今日でも失われていない、と坂本氏は論証した。
「本論考」と中山茂氏の上掲書の内容から、吉田氏が機械論(「大文字の科学革命」)の負の側面を見直すにあたり「別の(小文字の)パラダイム」が有力な手段になると考えた、そのきっかけが明らかになった。それは「20世紀の通常科学のまさに逆に位置している」とされる。なぜなら、「長期的・大局的な科学自体の課題」に私たち科学者が立ち向かおうとしているからだ、と吉田氏は指摘した。なお、中山茂・高柳雄一訳『科学革命の時代』(『1500-1700年の科学とその変化』)の内容がこのパラダイムの説明に関連するのだが別述したい。
例えば「東京オリンピック2020」についてはその開催のために、東日本大震災からの復興に併せて「原発事故がunder controlになったこと」を世界に宣言する必要があったとされている。吉田氏は(原発事故の原因の一つにもなり)人類を破滅させる力を持つほどにも強力になった(主に機械論の)科学パラダイムが変革されて、人類が持続可能に「21世紀にも成長し続けるための要件」を、例として 次の① ② ③に示した(pp.25-32)。
① 文理両科学が共働してその意味を考える「文理を俯瞰する人工物科学観」の要請
② 女性学を視点でなく学問領域と捉える「男女格差を解消する広い意味の学際性」の必要
③ 例えば、DNAを物理学・力学でなく、ゲノム科学「コト」(創発科学)と捉える生命理解
そして、パラダイム論では、個別科学の役割・重みは社会の(支配的な)科学観が変化する中で大きく変わり、小文字のパラダイムを構成する個別科学は次の新しい科学パラダイムの中で「新しい役割、別の意味」を自ら発見・自覚して「パラダイム・チェンジ」(後述)が生じると説明されている。参考までに「機械論」の個別科学に対して生じていた批判を「パラダイム論」の書物から引いておきたい。
「機械論科学では条件を制限して実験し、あるいは線形微分方程式にかかるようにする。そのやり方は基本は単純なものであり、それに還元する、あるいは近似すると解ける という方法でこれまでやってきた。その条件は、閉鎖系、孤立系にかぎる、ということであった。しかし現実の地球環境は孤立系でも閉鎖系でもない。自然環境は開放系、熱平衡から遠くかけ離れた複雑系である。地球環境は外部、つまり太陽からエネルギーをえる開放系である。このようなシステムはエントロピーの散逸と消失によってその構造を維持している。これをプリゴジンは「散逸構造」とよんだ。それが線形方程式でうまくいかないのは、当然といえば当然過ぎることである(K.マインツアー『複雑系思考』中村量空訳、シュプリンガー・フェアラーク東京、一九九七、一一八頁)。だから、地球環境科学は、時代の要請ということだけではなく、コンピューター・シミュレーションが使える条件ができてはじめて解決の緒が見えてくるポストモダンの科学なのである。[中山茂『20・21世紀科学史』p.268 一部を省略した]
ここからごく短く、執筆者が「本論考」の再読が必要になったと考えたきっかけである ”新しい「横幹図」”の一部「事実知・使用知・意味知」を先に紹介して、上に記した吉田氏の「新しい科学体系」の内容についての解説を続けたい。
・ 新しい「横幹図」の「事実知・使用知(構成知)・意味知」
さて、新しい「横幹図」は、企画・事業委員会によって次のように紹介されている。
その一部を抜粋する。
◎「横断型基幹科学技術(「横幹科学」)は、科学技術分野を横断する束ねる知として「異分野を俯瞰する事実知」「統合する使用知(構成知)」「社会的期待を発見する意味知」に関わる知見を追究する。
ここで「事実知」が「異分野を俯瞰する」と形容された理由は、吉田氏の「本論考」が明示した通り日本学術会議で「俯瞰型研究プロジェクト研究理論」の分科会が吉川弘之氏の主導で長く行なわれて成果を挙げたことが理由だろう。例えば、SDGsが達成されるには、科学が「人間と社会のための科学」にその重心を移動しなければならないと科学者は主張している。そのため、科学・技術の適用がもたらす便益(ベネフィット)と危険(リスク)を広い立場から俯瞰して、便益を増大させるとともにリスクを排除するための学術的な仕組みが必要になると指摘された。
具体的には、その技術が社会に適用されるに際して、社会制度への影響や、外部不経済を内部化するための仕組み、生活文化への影響、環境・人類の生存に与える影響などを広く考察することが必要になる。この理由から 哲学、倫理学、心理学、社会学、法学、経済学、エコロジー、医学などの観点からも、異分野を含めた学問体系を俯瞰・横断する(人工物科学を ひな形にした)研究が行われなければならないという。(注1)
また「統合する使用知」に話を移すと、これは認識科学でなく、人工物の「設計科学」に相当しその構成・改変・創造に関わる知見であるそうだ。認識科学と使用知は、例えば 織物の縦糸と横糸の関係になるという。「人工物」の概念には機械の設計や品種の改良、新しい治療方法の開発など工学・農学・医学などの領域で行われた構成・設計活動に加え、介護制度や博覧会展示などのこれまで領域外と見做された異分野(社会科学)の統合も含まれるそうだ。(注1)
注1:どちらも出典は”新しい学術の体系 — 社会のための学術と文理の融合 —” 日本学術会議 2003年。
ここまでの説明だけでも「横幹科学」については、文理両学会からの「統合」(横断や共働)を直接に必要とする設計活動・構成活動であると分かるだろう。ひんぱんに文理両学会の先生方が、昼食の定食屋さんで議論しているのが見かけられるような研究の環境が望まれる。ちなみに『カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』(横幹〈知の統合〉シリーズⅡ 東京電機大学出版局 2016年、日本感性工学会出版賞)は、文理融合のランチ・ミーティングが出版の直接のきっかけだったとされている。
最後に新しい「横幹図」に「意味知」と記されている「横幹科学」における社会科学の役割を短く考察する。上記した「事実知」の説明には「便益を増大させリスクを排除する」学術的な仕組みを作るために「哲学、倫理学を始め、心理学、社会学、法学、経済学、エコロジー」などの科学との横断・共働が(研究されるテーマの側に)必要だと記されていた。ここで共働を求められた科学は、社会科学である。更にこの先には、近未来に必要な技術を「社会科学」の共働者が発見し、社会的期待から新しい研究テーマが生まれる場合もあると言われている。
ところで、前の段で紹介した吉田氏の”「新しい学術体系」の必要性と可能性”が「パラダイム・チェンジ」を促すための論考であったことを再度確認しておきたい。パラダイム・チェンジは、時代の変化によってなされるものだが、誰にでも認識できるようなかたちで必然的かつ具体的に現れてくるとされている。2001年に「本論考」が執筆された状況とは大きく違い、現時点の2023年(横幹連合20周年)には非常に大きな追い風が「横幹科学」全体に吹いている。それが、2030年を目標としたSDGsの存在である。
また、SDGsがその達成のための手法として「バックキャスト」を提言したことで、「横幹科学」は(吉川弘之氏の提唱する「人工物システム科学」と同様に)文系あるいは 理系のリスク検証だけによっても実装するための研究を進められる可能性が出てきた。『令和2年版 科学技術白書』に「バックキャスト」は「目指すべき社会の姿から振り返って現在すべきことを考える」と紹介され、UN Sustainable Development Solutions Network(SDSN)“Getting Started with the SDGs(2015)がその出典に挙げられている。2030年の未来にSDGsで必要とされる技術を先に社会科学の側が見つけて、その学術テーマを理工系の研究者に要請する、という社会的期待からの全く新しい(文理共働の)研究も、これから多くなるだろうと予想されている。
それをふまえて、「本論考」の続きを次に読んで行きたい
・「人間と社会のための科学」という新しい学術体系
吉田氏は「本論考」で、1999年にブダペストで開かれた世界科学会議やその翌年日本学術会議がホストを務めた世界科学アカデミー会議の科学宣言に言及した。(1999年の科学宣言 )以下については私見による要約だが、世界の「持続可能な開発・成長」のために創発的な科学研究を行なう環境については「男女差別や南北の経済格差などで生じる不公平がそこにあってはならない」と本科学宣言は述べた。これが真摯な科学者の反応を引き起こした、と考えられている。
先ず、国連によるSDGsの前身となったMDGs(2000年)。そして、吉川弘之氏の『科学者の新しい役割』(2002年)の執筆などがその例である。そしてまた反応の一つが、新しい学術体系の要請を「パラダイム・チェンジ」だと捉えた吉田民人氏の「本論考」(2001年)だった。
もちろん、
横断型基幹科学技術研究団体連合の設立(2003年)も、その反応の一つである。
吉田氏は、1999年の科学宣言を「プロの科学者として受け止めた」ので次のような製品について根底的に考え始めたようだ。その製品は(例えば)2015年や 2030年といった近未来に「新しい個別科学による製品」として市場に流通されることが要請されている。その製品は便利で・安価で・利用者にも地球環境にも安全で、かつ性差別・マイノリティ差別を助長しない製造プロセスが求められていた。それは 20世紀の科学のパラダイムを変革(パラダイム・チェンジ)することから実現できるかも知れない開発だ、と吉田氏にはひらめいたのではないだろうか。
例えば、SDGsが始まって以降の最近の衣料品の広告には「この製品は、植民地的経済簒奪には加担せず正当な報酬を払っています」という添え書きが多くなった。これも、産業の重心移動の一つであろう。
同様の例を、吉田氏は上記の① ② ③に示した。再掲したい。
① 「文理を俯瞰する人工物科学観」の要請
② 「男女格差などを解消する広い意味の学際性」の必要
③ 例えば、創発の科学を「コト」と捉える生命理解
などである。
そして、この提言は20世紀科学パラダイムの多くの製品が、利用者の反発を国際的に受けた状況にとっても、渡りに船となった。ウミガメの胃から何例か発見されたレジ袋が、その象徴として知られている。そしてパラダイム・チェンジでは、ある個別科学が「別の新しいパラダイムでの立場」を自ら発見して違う役割を選び変化することでバージョン・アップしたと世間から見做されて、21世紀に生き残ることができるという。そうした個別科学の「重心移動」が、全体で見れば旧い科学パラダイムを変革させるそうだ。17世紀には機械論が優勢になった背後でヘルメス科学が人気を急速に失った事情が現在では分かっているのだが、20世紀の通常科学にとっては更に「その逆」とも言える変化が今起きているのかも知れない。
ところで、2001年時点での新しい学術体系の基幹科学候補として吉田氏は、吉川弘之氏の「人工物システム科学」に期待を寄せていた。それが新しい学術の「必要性と可能性」を最も体現していたからで、何より文理両方の便益と危険を広い立場から俯瞰できる学術だからである。
吉川弘之「人工物工学の提唱」(1992年)
『〈知の統合〉は何を解決するのか – モノとコトのダイナミズム』(横幹〈知の統合〉シリーズⅠ 東京電機大学出版局 2016年)吉川弘之氏の第1章「人工物観」6「横断型基幹科学技術の意義」など
ただ、吉田氏は「人間と社会のための科学」と「科学のための科学」のバランスを取ることも忘れていない。理系-文系を接合・統合できる21世紀の科学論は「人間と社会のための科学」なのだが「科学のための科学」という伝統的価値観に強く支えられて研究と教育が継承されるからだ。特に後継者の育成に関して、二つの科学に調停が必要になることを吉田氏は強く指摘した。ここからは執筆者による補足であるが、パラダイム・チェンジの過程では例えば「有機体論と機械論」の境界領域の個別科学や「ディジタルと機械論」の境界が双方の科学観からの批判を受ける場合が考えられる。可能性の話だが、介護制度を「制度を維持・管理するシステムを機械論で律する」ことで機械論を批判する立場から改善要請を受ける場合も あるかも知れない。また、個々の事例を一概には論じられないが、吉田氏はDNAを機械論として捉える生命理解が利権や権威に関わることに「本論考」で警鐘を鳴らしている。
ともあれ「本論考」で論じられた新しい学術体系は、社会実装で特徴が明らかになるだろう。
ここで一応の結論として言えることは、20世紀の科学パラダイムが大きな失敗と教訓を日本の科学の歴史に残していることに真剣に向き合うならば、吉田氏が「本論考」で提唱している「21世紀の新しい科学パラダイム」について、吉田氏の感じた必要性を理解しながらその社会実装を「実践」してみようとすることと、それと同時に「コト」つくりの方法を周囲に理解して貰おうと努力することが私たち科学者の新しい役割ではないだろうか。
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吉田民人氏の「横幹科学」への期待が「パラダイム・チェンジ」だったことに気が付いて文章を書き終えてみると、横幹科学を関係者外の方に説明する努力が3割くらい楽になった気がしている。今回は「事実知・使用知・意味知」の説明が中心になる予定だったが、比重をパラダイムに置いたことをご諒解頂きたい。なお、会誌『横幹』16巻2号に掲載された「企画・事業委員会」による新しい「横幹図」の紹介記事と、横幹ニュースレター前号(072号)の舩橋誠壽氏の記事に「横幹図」の理解を助けて頂いた。もちろん、もし誤りがあれば執筆者の責任である。
また、前号で予告した「知のプラットフォーム」の「強靭性・多様性・公共性」(出典「科学夢ロードマップ 2014」掲載図、作成 遠藤薫氏)の解説についても、本稿の内容を急遽変更したので次号に掲載したい。
ところで、吉田氏は「人間と社会のための科学」と「科学のための科学」の間の調停は、前者が後者を無視していては成立せず、持続可能にならないと指摘された。その調停は、現在も課題である。が、「本論考」にはその解決方法が示唆されていた。その方法は「横幹科学」としての「人工物システム科学」の学術テーマを実際に一つの学際研究プロジェクトで実践し、成果を出すこと、そして同時にそのコトつくりのプロセスの全行程を記し、認識科学の一次資料にすることであるという。本稿を書きながら思い付いたことがあり、試みてみたいと考えている。
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