No.078 Aug 2024
TOPICS
〇 第15回横幹連合コンファレンス開催のお知らせ
第15回横幹連合コンファレンスは、大会テーマを「多分野連携研究と横断型人材育成」とし、2024年12月14日(土)、15日(日)に東京工業大学大岡山キャンパス(東京都目黒区)を拠点としてハイブリッドで開催されます。詳しくは、こちら。
〇 会誌「横幹」17巻3号 (20周年記念特集号) が発行されています。
詳細は こちら。
COLUMN
【解説記事】(横幹ニュースレター 2013-23年「この10年」セレクション)
”暮らすだけで健康になる” まちづくり、そこに住んでいるだけで、転びにくく、認知症になりにくく、糖尿病になりにくい、そうした町 が設計できる。
講演『学際研究によるゼロ次予防の可能性』を再読する。
横幹ニュースレター編集室 武田博直(日本バーチャルリアリティ学会)小山慎哉(日本バーチャルリアリティ学会)
(1)はじめに
暮らすだけで健康になるまちづくり。「予防医学」で社会の「健康格差」を解消する
(第54回横幹技術フォーラム)
これまで横幹ニュースレターに掲載した「横幹技術フォーラム」のテーマには、部外者には その存在すら知られていない学問領域がいくつもあって驚くことが多い。こうした異分野は「俯瞰・構成」されて新しい「社会的期待の発見」につながる。横幹型科学の醍醐味は、それが社会実装されることだろう。
第54回横幹技術フォーラムでは、「そこに住んでいるだけで、余所よりも転びにくく、認知症になりにくく、糖尿病になりにくい」、そのような町を現実に設計できる、と講演者は強調した。講演は、近藤克則氏。JAGES 日本老年学的評価研究機構 代表理事である。
近藤氏によれば、日本の医療・介護制度は、これまで 「発症した病人を、どのように治療・介護するか」という生物医学的な研究に多額の研究費が投入されてきた、という。つまり、病気になった人だけ調べ、なぜそうなったか、どんな薬に治療効果があるか、について調べていたそうだ。これに対してこの問題を、地域の「健康格差」を解消し、そこに住む地域住民の「健康寿命」を延ばすためには医療関係者や社会に何ができるのか、と考えることで、全く従来とは異なる解決方法が見えたという。それが、社会疫学研究の知見(予防医学)を活用した「健康格差社会の解決」という大きなテーマであったそうだ。 つまり、治療でなく「予防」によって、転倒・認知症・糖尿病などが他よりもずっと少ない「住民参加のまちづくり」が目指せるのだという。では、「暮らすだけで健康になるまち」は、どんな場所なのだろう。
そのイメージは、本フォーラムの講演を聞くことですぐに理解できた。全国の自治体には 「介護保険事業計画」の策定が義務付けられており、3年に一度の大規模な調査に基づいて介護保険料が設定されているという。このように非常に大切な調査なのだが、市町村単位のデータを単独に眺めてもその意味は判然としなかったそうだ。
ところが、近藤氏らが多くの自治体からデータを集め、そのデータを相互に比較してみたところ、以下の3点が明らかになっている。
① 転んだ人(高齢者で1年以内に転んだことがあると回答した人)の割合が最も多かった地域と少なかった地域で、約4倍もの差があった。つまり、4倍、転びにくい町があると言える。 また、② 認知症リスクを判断する指標の一つである「手段的日常生活動作 IADL」(注)の低下を53市区町村間で比較したところ、1項目でも <できない> と回答した人の割合が 7.9~23.2%と、市区町村の違いによって に約3倍もの格差がみられた。つまり、3倍認知症になりにくい町がある、ことなどが分かったという。なお、③ 健康格差が地域の経済格差から生じる問題、つまりある地域で所得が上がれば不調を訴える住民が減ることについては、本フォーラムではほとんど触れられなかったのだが、近藤氏の著書には「低所得・低学歴層に糖尿病患者が極めて多いこと」などが紹介されている。
※(注)手段的日常生活動作(IADL)は、基本的日常生活動作(日常生活における基本的な食事・排泄などの動作 BADL)の次の段階を指すという。日常生活の複雑な動作「掃除・料理・洗濯・買い物などの家事や交通機関の利用、電話対応などのコミュニケーション、スケジュール調整、服薬管理、金銭管理、趣味」などが挙げられている。 (公益財団法人 長寿科学振興財団「健康長寿ネット」より)。
※ 近藤克則氏: 講演当時 千葉大学予防医学センター教授、国立長寿医療研究センター 老年学評価研究部長、JAGES 日本老年学的評価研究機構 代表理事。「健康に関する地域格差」の解消に長年取り組んでおられる。現在 千葉大学名誉教授。著書 『健康格差社会』(2005年)は社会政策学会賞(奨励賞)受賞。『健康格差社会への処方箋』 (医学書院、2017年)など。
(2)暮らすだけで健康になるまちづくり、は、どう実現できるのか
それでは、「暮らすだけで健康になる」まちづくりは、どうすれば実現できるのだろう。その指標として、ソーシャル・キャピタルという概念がここでは紹介された。ソーシャル・キャピタル(次節に詳述する)は、人々の信頼を地域で支え合う仕組みであるという。例えば、近藤氏の講演とはまた別の報道からの紹介になるが、BS朝日の報道番組「町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN」ではコロナ下に米国で起きた出来事として 「外出を控えるよう要請された高齢者世帯のために、ご近所が自発的に輪番でスーパーへの買い出しを引き受けた」という地域社会の支え合いの一例が紹介された。報道では、カリフォルニア州バークレーの出来事だったと紹介されたが、国民性を考えると全米で行なわれたことだろう。近藤氏の講演をまとめ直していて、本Column執筆者はこうした米国人のごく自然な「ご近所の支え合い」を思い出した。
近藤氏は、本フォーラムの講演で、もし、自分の住まいの近所に自由に参加できる 「介護予防サロン」のような施設、つまり高齢者にとって出かけやすい環境が用意されていれば、認知症のリスクなどを低減する上で大きな効果が期待できると指摘した。更に、その施設に来たことで、スポーツのサークルや趣味のグループ、ボランティアのグループなどへの参加が勧誘されれば、外出の機会はさらに増え、認知症のリスクも低減するそうだ。そして、スポーツなどで体幹を支える筋力が鍛えられれば、転倒事故も予防できるという。これらの事実は、運動生理学などで個別の症例を調べても説明のつかないことが多かったそうだが、社会疫学研究に基づく近藤氏らの20年にわたる調査の結果として効果が明らかにされたという。 近藤氏は愛知県武豊町のサロンなどを例に、こうした事例について紹介された。
ここで本Columnの私見を添えさせて頂くと、「健康になるまちづくりの設計」という社会的期待には、「伝統的科学技術(縦型分野)」だけでは充分でなかったことになる。その理由は、近藤氏も指摘されたようにこれまでが「病気を特定して治療する」方法だったためだろう。本フォーラムでは、ここでの研究が政府の「高齢社会対策大綱」という2018年の行政指針に沿ったもので「認知症者の70代人口における割合を2025年までに1年1%の割合で減らすこと」「高齢者が要介護にならないための方法を考えること」などを後押ししていることにも言及された。
ところで、「武豊町の憩いのサロン事業」については、その詳細を記した書籍が最近刊行されている。
武豊町は知多半島中央部の東西5km南北6.5㎞の自治体で、住民は約4万人。1999年から 日本福祉大学の「サロンを介護予防拠点と位置づけた調査」が継続して行なわれているという。2018年度の「サロン事業」の参加者数は883人。これは町内の自立高齢者の約1割にあたり、サロン開始前の類似企画の参加者数の約10倍であるそうだ。自立高齢者の1割も、という その効果の大きさに一驚させられる。この施設については、特に「アクセスの改善」「多彩な(活動)メニュー」「自主的な運営と支援」という3つのコンセプトが大いに好評だということだ。
【武豊町 憩いのサロン HP】
武豊町の「憩いのサロン事業」を紹介した書籍の目次を一部下に引く。
介護保険のスタート時に、厚生省などの公的機関でこの種のサロンに参加者を集める方法として考えられたのは、検診などで要介護になりそうな人をスクリーニングして声をかけるというものだったそうだ。しかし、健康格差の研究からはその戦略は見直されることが予想されたという。ある講演会で近藤氏がそうした懸念を述べたところ、当時武豊町で介護保険を担当された方が賛同され「武豊プロジェクト」はスタートしたそうだ。サロンができる以前からの介護関連の調査データが切れ目なく蓄積されていることも、他所と比較の際に貴重な情報になっているという。そして、住民の高齢化は上昇傾向なのに、介護給付費が下がるという具体的な効果が見られたそうだ。成功の要因は、おそらく人とのつながりや協調行動の指標であるソーシャル・キャピタルの高い地域であったからだと思われる。地元の3割を占める昔から暮らす住民(奈良時代以前からの神社の氏子も多い)と7割の新しい住民が、新旧の居住歴や収入の多い少ないに係わらず協力しあうという住民・地域の特性に大きく支えられているそうだ。同書には、「他の地域でも取り入れられるよう、住民への説明やサロン設置に向けた活動の実際、新規参加者を排除しない工夫、この事業によって地域・住民に生じた変化、職員やボランティアの活動内容と活動に要した時間、費用に関するデータも掲載」 されているという。
(3)横幹型科学としての「予防医学」
今回のColumnで近藤克則氏の講演を取り上げた理由は、「ソーシャル・キャピタル」を計測する素材や検証報告がネット上に公開されており、横幹連合の他学会員にも理解されやすいことが理由である。ソーシャル・キャピタルは、人々の信頼を地域で支え合う仕組みであるという。特に、日本老年学的評価研究機構 JAGESのホームページには、介護保険関連の「実際に行なわれた調査結果」が整理、公開されている。これらは得難い資料だと考えられた。瞥見だが、いくつかの資料を下にリンクさせて頂く。
〇 「日本老年学的評価研究機構 JAGES」のホームページ
特に、本Columnが着目したのは、「ソーシャル・キャピタル測定指標の提言」が公開されていることである。「(参加している)サークルに出かける頻度。愚痴を聞いてくれる人がいるか。病気で寝込んだ時に気遣ってくれる人がいるか」などが指標として 調査されている。本Column執筆者の一人は 要介護の父親を在宅介護した経験を持つことから、地域社会が高齢者に 何をどう支援しているか、などの情報に大変勇気づけられた。常識として「個食がうつ病や認知症につながる」ことや「運動不足から糖尿病になる」程度の知識を持っていれば、ここに掲載された調査方法が 自立高齢者をサークルなどに勧誘するきっかけにもなっていることが理解できる。
また、次の論文は 一例として JAGESホームページから選ばせて頂いた。データの取り扱いが参考になると思われる。
〇 山谷麻由美,近藤克則,近藤尚己,荒木典子,藤原晴美:長崎県松浦市における地域診断支援ツールを活用した高齢者サロンの展開 -JAGESプロジェクト-,日本公衆衛生雑誌,63(9):578-585,2016
※ ソーシャル・キャピタルとは: 「ソーシャル・キャピタル(人々の信頼を地域で支え合う仕組み)の定義」について、上掲書『まちづくりによる介護予防:「武豊プロジェクト」の戦略から効果評価まで』 の第5章から引用する(文責は本Column)。 ソーシャル・キャピタルの定義は、様々であるそうだ。社会疫学のテキストで、それは「ネットワークやグループの一員である結果として個人がアクセスできる資源」と定義されるという。信頼・互酬性の規範を認知的ソーシャル・キャピタル、そしてネットワークを構造的ソーシャル・キャピタルと分類する定義もあるそうだ。なお、同書には、ハーバード大学公衆衛生大学院との共同研究で、特定の小地域での健康格差の改善を「操作変数法」で推定する方法を示唆されたことも紹介されている。こうした手法で、「憩いのサロン」近くの住民から健康状態の改善し始めたことなどが証明できたという。
【謝辞と今後の展開】
今回のColumnは、ここまでで第54回横幹技術フォーラム記事の再読を終える。
現在千葉大学名誉教授、JAGES機構代表理事の近藤克則氏による本技術フォーラムは 2019年5月24日に中央大学駿河台記念館で行なわれた。総合司会は、赤津雅晴氏(日立製作所、横幹技術協議会理事)が務めた。横幹ニュースレターの本報告記事は No.058 Aug 2019 に 「Society5.0時代のヘルスケア( その2 )」のご紹介、と題して掲載した。近藤先生には、「健康格差」に関する大変貴重なご講演を頂けたことに、改めてお礼を申し上げたい。
なお、「ソーシャルインパクト・ボンド」(民間委託事業に対して要介護者を減らしたなどの成功報酬が行政から支払われる仕組み)についても、その要点を記した。ご参考になれば幸いである。
※ 第54回横幹技術フォーラム 近藤克則氏によるご講演プログラム詳細はこちら。
※ 「Society5.0時代のヘルスケア( その2 )」のご紹介 (横幹ニュースレター No.058 Aug 2019)
ところで、本Columnでの講演の再読を、近藤先生にはご連絡を差し上げずニュースレターからの引用と新著『まちづくりによる介護予防』からの引用だけで執筆したことには理由があった。
横幹ニュースレター No.034 Aug 2013に掲載した、社会学者 古田隆彦氏による第37回横幹技術フォーラムの講演「人口波動で未来を読む」という提言と本フォーラムの講演内容との整合を独自に考察したことから、その結論内容については本Columnの文責で記したいと考えたためである。古田氏は人口波動の研究から、現在は年金受給者の65歳から74歳は「生産可能年齢」であると主張しておられた。この主張は、その後の2024年現在までの平均寿命の推移から見ても納得ができる。
また、同じ技術フォーラムで未来学会理事の和田雄志氏が「2015年に65歳以上の人口が3000万人を突破したと報じられたが、その構成は、介護対象が16%、そして、そこそこ元気な普通の高齢者が84%で、後者は潜在化して見えにくい」ことを指摘された。 更に、WHOは途上国で(病人を治療する困難を選ぶよりも)健康格差を是正するために途上国との経済格差に目を向けることを勧告しているそうだ。(これは近藤氏の著書に紹介されている。)このため欧州では、所得再配分などの方法によって南北の健康格差を是正しようとする提案が行なわれているという。そうすると(以下について社会学者のご見解は伺っていないが)、① 「憩いのサロン」のような事業が国内に増えれば、自立高齢者の外出は 必ず増加する。 ② 参加者の増加で地域の介護給付に顕著な減少が現われた場合、支援するNPOに報奨としてソーシャルインパクト・ボンドが支払われる場合がある。③ 仮にそのNPOのスタッフに65歳から74歳の高齢者が含まれていれば、彼らは納税者に変化する。また、介護支援だけでなく得意を活かした仕事に就く機会も増えると予想される。その就労は(予防医学の観点では)自らの認知症や糖尿病のリスクを減らす。と同時に(WHOの提言からは) 65歳から74歳の年齢層の所得向上がこの層の健康状態を改善するはずである。このような介護予防サロンと人口波動の関連について、報告の機会を改めてまた論じてみたい。
また、近藤氏の講演は「介護予防サロン」の設立・運営などについての「予防医学」に限られていた。しかし、転倒による入院や感染症による通院・治療などが自立高齢者に生じる事態も充分に予想し得る。この「通院・治療」のサイクルが終了すれば、再び、高齢者は元の「介護予防サロン」に復帰するだろう。
この「通院・治療」のサイクルを簡便にできる注目すべき提言が、第57回横幹技術フォーラムで紹介されている。伊藤敦氏(講演当時、北見工業大学工学部 准教授)による「医療イノベーションの実現に向けた医療モールの展開戦略」という講演である。 ごく簡単に内容を述べると、「大学病院」などの高度な入院治療と 「医院・診療所」の一次診療を分ける必要のあることが本考察のきっかけとなったとされている。このため(北海道北見市などで)「駅前診療モール」の施設どうしが電子カルテや医療機器を互いに融通し合い、複数の近隣の駅の「駅前診療モール」をつないで、全体で大病院並みの診療科目について一次診療のできる医療ネットワーク・システムを作ろうという大変に興味深い構想である。「かかりつけ医」として、バランスの良い食習慣の生活指導なども行なうということだ。また、「その医療モールの治療に効果があったか」などのアンケートへの回答には 脳磁計を同時に使うことで正確なデータが得られるという。
ということは、何かの病気が発症しても「介護予防サロン」と「駅前診療モール」などの近隣の一次診療施設を循環して治療を受ければ重篤にならないうちに完治する可能性が出てくることになる。これについても、報告する機会を設けて論じたい。
※ 古田隆彦氏による講演「人口波動で未来を読む」(横幹ニュースレター No.034 Aug 2013に掲載)
※ 伊藤敦氏による講演「医療イノベーションの実現に向けた医療モールの展開戦略」(横幹ニュースレター No 064 Feb 2021に掲載) なお、伊藤氏は現在、京都府立大学 教授。
今後も機会を見つけて、Columnで「現象学」「AI」「ビッグデータ」「大規模災害対策」「創造のための組織論」などを再読してみたい。なお、本Columnに記したように、「65歳~74歳の生産年齢化」「駅前診療モールと介護予防サロンの循環」については改めて再掲したい。
ちなみに、『イノベーションの秘訣』を横幹ニュースレターNo.77 May 2024 に〔横幹ニュースレター 2013-23年「この10年」セレクション〕として掲載した。併せてご参照頂けると有難い。
※ 「横幹ニュースレターの内容」(2023 Aug.~2013 の10年)
<以上>
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※ Column校了日 2024年8月20日。(横幹ニュースレターでは、レイアウト担当者がWebレイアウトをこの日に開始して、それ以降にColumnの文章は改変〔再校正〕されません。よって既公開の頁を含め参照日付を記載せずに「引用」できます。)
※ 新しい「横幹図」については、会誌『横幹』16巻2号 (企画・事業委員会)をご参照下さい。
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