横幹連合ニュースレター
No.033 June 2013
<<目次>>
■巻頭メッセージ■
●第36回横幹技術フォーラム
■参加学会の横顔■
◆日本経営工学会
■イベント紹介■
◆「第5回横幹連合コンファレンス」
●これまでのイベント開催記録
■ご意見・ご感想■
ニュースレター編集室
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横幹連合ニュースレター
No.033 June 2013
◆活動紹介
●【活動紹介
速報! <第1回木村賞表彰式>
●【活動紹介】
第36回横幹技術フォーラム
総合テーマ:「アート・デザイン・テクノロジー 〜近くて遠いその関係〜」
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●【活動紹介】 速報! <第1回木村賞表彰式>
第1回木村賞の表彰が,2012年度横幹連合定時総会(4月25日)の会場において行われた。この賞は、横幹連合第二代会長である木村英紀氏の寄付により創設され、第1回は第4回総合シンポジウム(2012年11月)の中から、木村賞審査委員会の厳正な審査の結果、2人の受賞者が選ばれた。その氏名と対象講演は、伊呂原隆氏(上智大学)「CO2排出を考慮したサプライチェーン計画」と、キャロライン・ベントン氏(筑波大学)「グローバルリーダーシップのコンピテンシー選択:国際比較調査に基づくモデル探求」であった。
選考の対象論文は56件。予稿から書類審査で選ばれた9件の講演を、審査委員が実際に聴講して決定した。審査基準は、個別の会員学会分野での成果に加え、横幹らしさ、すなわち、分野を超えた理念や方法論が提案されているかどうかを、より高く評価したという。表彰式では、選考の経緯が安岡善文木村賞審査委員会委員長から発表され、出口光一郎会長から賞状が、木村元会長からメダルと賞金が授与された。ベントン氏は筑波大学副学長としての行事が重なり、残念ながら出席がかなわなかったが、伊呂原氏が「大変に名誉な賞を頂いた。この賞に恥じない研究を続けてゆきたい」と挨拶を行い、受賞対象論文の記念講演が行われた。 (文責:編集室)
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第36回横幹技術フォーラム
総合テーマ:総合テーマ:「アート・デザイン・テクノロジー 〜近くて遠いその関係
日時:2013年 1月29日(火)
会場:筑波大学東京キャンパス文京校舎(茗荷谷)
主催:横幹技術協議会、横幹連合
◆総合司会 岸野 文郎(横幹連合産学連携委員)
◆講演1「全体講演 〜なぜ近くて遠いのか?〜」
原島 博(東京大学名誉教授)
◆講演2「アートの立場から 〜生命造形の宇宙へ〜」
河口 洋一郎(東京大学教授)
◆講演3「デザインの立場から 〜2つの知性を循環させること〜」
須永 剛司(多摩美術大学教授)
◆講演4「テクノロジーの立場から 〜技術の本質を表現内容にするデバイスアート〜」
岩田 洋夫(筑波大学教授)
◆総合討論 司会:岸野 文郎 (敬称略)
プログラム詳細のページはこちら
【活動紹介】
「アート・デザイン・テクノロジー 〜近くて遠いその関係〜」と題した横幹技術フォーラムが、1月29日行われた。始めに、桑原洋 横幹技術協議会会長が開会の挨拶を行った。
「技術は、美とは、かけ離れたところにあると見られて来たが,良いシステムは美しいシステムでもあるはずだ。私たちも会社で、沢山のシステムを作ってきたのだが、何が競争力のあるシステムなのかという点については、学でも産でも、ほとんど議論がされないままで、理論武装が全くできていないという状態である。システムは多くの技術の融合体として提供されるのだから、窓口での長蛇の行列を美しくないと感じるような感性が、システムと社会の接点に心理学や美学を含めた定式を確立して、そのようなシステムが、どんどん外国に、競争力を持って出て行くような明日が実現できないものだろうか。そうした意味からも、本日のアートを中心とした技術の話には、大変に期待している。」
先ず始めに、「全体講演 〜なぜ近くて遠いのか?〜」と題して、原島博 東京大学名誉教授の講演が行われた。氏は、その幅広い実績を「感性コミュニケーション」「情報技術と文化」などの工学系分野に有し、日本顔学会、日本VR学会、電波管理審議会などのアートとテクノロジーの境界領域を強く含む要職で、会長を歴任されている。氏の講演の要旨は、次の通りであった。
「現代のテクノロジーを支える工学は、その発展途上期には、物理学・化学・生物学などに係る『応用理学』として位置づけられて来た。しかし、工学は、本来の姿としては、人の創造的な営みに際しての指導原理なのであって、文化・生活に係る『文化創造学』に他ならない。これまでの工学は、都市基盤、交通基盤、ネットワーク基盤などのインフラ(基盤)を、ひたすら整備し続けてきた。しかし、デジタルの時代になって、生産技術においては、途上国と先進国の違いは無くなってしまった。だから、これからは、インフラに加えて、その上にいかなる『文化』を築くかが重要になる。例えば、工学にとっての大先輩である建築学は、技術インフラ(構造)と文化(意匠)を数千年の間、共存させて来た。これからは、技術者の美意識に基づいて、どのような文化を、技術インフラの上に築くかが重要になるのだ。
現在、こうした新しい動きが目立ってきた理由は、今の日本の社会から、工業製品やインフラに対して要請している内容が大きく変化したためでもある。例えば、イタリアのレオナルド美術館を訪れると、ルネッサンスの頃には、アートとテクノロジーが、もともと近い関係にあったことを感じて感激する。それでは現在、その二つは、なぜ近くて遠いのか? それは、東大工学部と東京芸術大学が、根津駅をはさんで真反対に位置することにも象徴されるように(笑)、工学部では美意識について教育をしてこなかったということが、要因としては大きいのである。この領域では、実際の時代からの要請としては、これまでの自然の知を蓄積する『探求型科学技術』に加えて、社会の文化を創造する『創造型科学技術』が必要とされていたのだ。このためにも、(東大では従来の農学部の名称を、農学生命科学研究科・農学部と変えているように、)工学部も、工学文化創造学研究科・工学部と名称を変えて、数学・物理学の真理だけではなく、美意識や倫理についても学習する必要があるのではないだろうか。」原島氏は、このように述べた。
ところで、文部科学省の競争的資金の配分機関の1つである独立行政法人科学技術振興機構(略称JST)では、戦略的創造研究の推進事業をいくつか行っている。そのうちの、「CREST/さきがけ」というプログラムで、メディア芸術の創造に向けた研究プロジェクト「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」が推進された(2004年度から2011年度)。この領域総括を、原島氏が担当した。本日の講演者は、その時に参加した各研究チームの代表者である。その期間に重なって、2004年度から、東京大学情報学環を中心に「コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」も進められており、氏はその代表も務めたという。
CRESTでの、この研究では、次のようなモデルが実証されたという。これまでの工学の研究モデルでは、
研究 → 学会(研究発表)→ 産業 → 社会(製品化)というリニアモデルが一般的であった。それに対して、この研究では、研究のオープンスパイラル・モデルが試みられ、
研究 → 社会(研究の中間段階が、先ず社会に示される)
その結果を研究にフィードバックする。これを繰り返して、その研究が体系化された段階で、学会に発表する。これを更に繰り返して、可能性が見えた時点で製品化に進む、という方法が取られた。オープンスパイラルは、教育のモデルとしても重要であるという。これについては、氏や本日の講師陣が係わった東大や科学未来館における関連展示などを通じて、その有効性が実証され始めているのだという。
更に、この領域には明るい話題もある。メディアアートという分野に工学者が関心を持ち始めたことから、例えば、世界最大のメディアアート芸術祭 Ars Electronica(オーストリア、リンツ)では、展示・参加・受賞する日本人が急増しているということを、ここで原島氏は指摘した。世界で最も権威あるコンピュータグラフィックの発表展示会SIGGRAPH(米国)でも、その技術展示 E-Techでは、日本人の展示作品が55%を占めている(04年~08年)。次の講演者河口洋一郎氏も、その展示会の特別賞であるACM SIGGRAPH AWARDS for Lifetime Achievement in Digital Artを2010年に受賞されている。このように、今、新しい動きが少しずつ始まっており、テクノロジーに支えられた日本のメディアアートが世界的に注目されている、と氏は結んだ。
続いて、上記CRESTの原島氏の研究領域で一つの研究チームを率いた河口洋一郎氏(東京大学教授)が、「アートの立場から 〜生命造形の宇宙へ〜」と題して講演を行った。しかし、氏の存在感や圧倒的な作品群の魅力は、短い文章の中で紹介する事が不可能に近い。そこで、テレビ東京で 2011年6月12日に放送された、デザイン&アート OPINION番組「TOKYO AWARD」の、河口氏と漫画家浦沢直樹氏がゲストの回を引用させて頂くことにする。冒頭から5分15秒までを観て頂ければ、河口氏の全活動領域を金平糖に例えた時の、突起のほんの二つ分ほどについて感じて頂けるかも知れない。
氏の発言は、極めて短い時間の中に「あるものの仕様」「自身の感じたその印象」「将来ビジョン」についての直感を、ほぼ同時に言葉に置き換えようとされるため、周囲からは(親しみを込めて)「何を言っているのか分からない」と評されるのだが、必要な知識を持って聞けば100%理解できる。横幹技術セミナーの会場では、カンブリア紀の生物に触発された自身のメディアアート作品を示しながら、「超高精細テレビのための巻き貝をモチーフにしたアート作品」「CG作品の曲線を多用した形状を、伝統工芸の製作者に依頼して薩摩切子や鎌倉彫で表現した作品」「『宇宙クラゲ』をテーマにしたロボットで、クラゲが泳いでいる姿に見立てた作品」「東大寺世界遺産登録10周年記念として、布袋寅泰のライブ演奏の背景の東大寺に水のCG映像を投影したパフォーマンス作品(東照宮でもやってみたという)」などを続けて紹介した。「あと50年くらいは生きているつもりなので、火星や木星でお抹茶を点てる(たてる)時などに相応しいCG作品は、その頃には出来上がっているだろう」とのことであった。
巻き貝の成長などの複雑で美しい曲線を効果的に使った、生命感に溢れる氏のCG作品は、世界的に評価が高い。世界のCG作家たちにとっては、憧れの存在である。正に、原島氏が指摘した「近くて遠い」アートとサイエンスの間を行き来している体現者では無いだろうか。
(参考) | 「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」研究報告書 河口洋一郎 |
続いて、須永剛司氏(多摩美術大学教授)が、「デザインの立場から 〜2つの知性を循環させること〜」と題して講演を行った。こちらも、映像による説明が分かりやすいので、先ずこちらの頁に埋め込まれているビデオ映像からご覧頂きたい。CRESTの「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」の研究の一部として、国立新美術館において2011年に「かえり道のアートスペース」と題する先端技術の展示が行われた。それを編集した映像である。
先に、原島氏から、研究 → 社会(研究の中間段階が、先ず社会に示される) という説明が行われたが、須永氏の研究は、文字通り「研究の中間段階が先ず社会に示される」オープンスパイラルの展示事例であった。これに関して、須永氏は、「実社会を相手にすることで、研究にリアリティがともなう。研究にリアリティがともなうと、その研究成果は社会に着地する(=社会が使い始める)」と説明している。
ところで、哲学者の鶴見俊輔氏は、芸術を「主体となる個人あるいは集団にとって、それをとりまく日常的状況をより深く美しいものにむかって変革するという行為である」と考えた。ここで、鶴見氏は、専門家による芸術や、商業的に扱われる芸術以外の、無名の市井の人たちが周囲の(顔の見える)人たちのために製作した生活雑器や作曲した民謡などの芸術性について着目している。須永氏も、ここでの「デザインの立場」の立脚点については、鶴見氏が言う「人々が自ら創る。デザインするのは社会の人々だ」という立場に立つことを明確にした。これに続いて、須永氏はこう説明した。「デザインすることの本質は、芸術的なアプローチに根ざした、表現・創造・シンセシス(構成)にある。そのデザインの本質は、自然科学を基盤とした学問のアプローチ、つまり、説明・批判・アナリシス(分析)とは異なる型を持った、知的な営みを創成する。これら2つの型の知性を循環させること、つまり〈表現−説明〉〈創造−批判〉〈構成−分析〉のループを創り出すことによって、〈私たちの社会を形づくる〉ための新しいタイプの研究開発プロジェクトの実装が可能になった。」
事実、「かえり道のアートスペース」においては、ワークショップの実践という文化的プログラムと、ソフトウェアという技術システムの二つの柱で構成された仕掛けが、「市民が自ら自分たちの意味を編み上げていけるような仕掛け」として機能したのだ。
ところで、ここで須永氏が使った「アナリシス」「シンセシス」という言葉は、以前に同じ意味で、吉川弘之名誉会長が横断型基幹科学技術を説明する際に用いられた。それで、この須永氏の解説は、非常に重要であると思われる。吉川氏は、このときにデザインという言葉を直接には使用されなかった(「構成」と仰っていた)のだが、後に、安岡善文氏が横幹的アプローチの提言の中で、「シンセシス」を「モデル化、シミュレーション」という言葉に置き換えて、的確に説明されている。そして、その後に、この須永氏の「デザイン」についての講演が行われた。それで、吉川氏の講演をお聞きになった方の中には、「アナリシス」と「シンセシス」の2つの型の知の循環について、吉川氏が言及しておられたのを、ここで改めて思い出された方も多いことだろう。安岡氏は上記の説明において、企業や国家が施策の立案に際して「モデル化」を行い、その結果に関して、株主や社会がモデル通りの結果が実現されたかどうかを真摯(しんし)に評価する、といった一般的な活用事例までを視野に含めて、普遍的な横幹的アプローチについて論じておられたのではあるが、須永氏はCRESTのプロジェクトを通して、社会のひとりひとりの創発的な参加によって「情報があふれかえる社会から、表現が編みあがる(魅力的な)社会へ」と移行するための横幹的アプローチを、具体的に示したのではなかっただろうか。そのための社会的な実装として、市井の人たちが自分たちをとりまく日常的状況をより深く美しいものにむかって変革するために、ここで行ったのが、〈表現−説明〉〈創造−批判〉〈構成−分析〉というループによるデザインの創出だったのである。
(参考) | 「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」研究報告書 須永剛司 |
最後に、岩田洋夫氏(筑波大学教授)が、「テクノロジーの立場から 〜技術の本質を表現内容にするデバイスアート〜」と題して講演を行った。 氏は、権威あるCGの発表展示会SIGGRAPHの技術展示部門E-Techに、1994年から2007年にかけて製作したバーチャルリアリティ作品が連続入選するという前人未到の記録の保持者である。また、世界最大のメディアアート芸術祭 Ars Electronica(オーストリア、リンツ)でも、氏は作品の長期展示を行っており、また、その4つの展示カテゴリの全てを制覇している。
氏の創案による「デバイスアート」とは、機械技術とデジタル技術を駆使して、テクノロジーを見える形でアートにしたインタラクティブ作品の事である。インタフェースとしてのデバイスやツールが、表現内容そのものとなった作品、とも定義される。いずれの技術も、工業製品としての高度な製品仕様を有しつつ、同時に、機能美を持つ(アートである)ことを志向している。これも、先ずは、実物の写真をご覧頂きたい。
「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」研究報告書
岩田洋夫
デバイスアートは、CRESTの研究の中でも異彩を放ち、「工学者が新技術を自ら作品にする過程を通じて、デバイスアートにおける技術体系が明らかにされ、制作と評価の方法論が構築される」というプロセスで研究が行われた。これは、今日のiPhoneに代表される「芸術的センスが勝敗を分ける工学システム」に関して、そのようなシステムの開発者の人材育成も意識されているのだという。
CRESTの氏の研究チーム(2005年から2010年)には、第一線の気鋭のメディアアーティストやVR技術者が参加した。稲見昌彦(慶応大)、児玉幸子(電通大)、土佐信道(明和電機)、クワクボリョウタ(アーティスト)、矢野博明(筑波大)、八谷和彦(ペットワークス)、前田太郎(阪大)、安藤 英由樹(阪大)、草原真知子(早稲田大)という方々である。海外からも注目を集めた。
また、日本科学未来館では、「デバイスアート・ギャラリー」を(2008年から2011年まで)常設していた。ここでは、7回の展示替えを行っている。 原島氏が先に、「工学にとっての大先輩である建築学は、技術インフラ(構造)と文化(意匠)を数千年の間、共存させてきた」と述べたが、デバイスアートは、優れたメカトロニクス(技術インフラ)とアートを、無理なく共存させようとする大胆な試みだと言えるだろう。
最後に、講演者全員による総合討論が行われた。司会は、横幹連合産学連携委員の岸野文郎氏である。岸野氏は、臨場感通信会議システムの研究を始め、人間中心の認知的ユーザインタフェースに関する研究に、多くの実績を有している。日本VR学会の元会長でもある。
先ず、CRESTの領域総括を担当した原島氏が、口火を切った。「サイエンスとアートを結ぶと言って、ずっと研究をやって来たのだが、実は孤独な道のりだった。私としてはCRESTをやったことによって、違った分野の横断をやっと実感できた気持ちがする。CRESTのこの戦略プロジェクトは 2004年に始まり、文化を支える創造型科学技術の創出という画期的な様々な試みを行い、素晴らしい成果を生みだして来た。しかし、一方で、今後の課題も数多く残されている。」
これに続いて全員が、アートとサイエンスを融合することの苦労について述べた。「欧州では、割と気安く、アートと科学の融合を口にする。しかし、アートとサイエンスの関係は火花を散らす類で、互いに相手をねじ伏せようとするものだ。」「融合が、そうそう簡単にできるとは思えない。領域を越境する努力が重要だ。」「異分野が出会うことから、何かが始まる。しかし、専門性の壁を低くしなければ、協働は生まれないと思う。専門性を落とす事を許容する気持ちも、大切ではないだろうか。」「いや、むしろ、専門性はしっかりと主張し合うことで、機能的にも優秀で、美的なものが生まれるように思う。外部からは、やや見過ごされ勝ちだった、いくつかの専門的な特長について、一番厳しい評価を下したのは研究チームに参加してくれたメンバーからの意見だった。」「いずれにしても、知の統合という言葉があるが、細分化されてしてしまった方法では、現実の問題は解けないのではないのか。」「いや、総合知では、つまらなくなってしまう場合が多い。失われてしまうものがあるためだ。方法論でやるというより、それぞれが領域を越境して、新たな発見をして行くことが大切ではないかと思われる。」・・・
と、このように議論は、科学とアートの間の長く分かたれていた日々を想起させるかのように、収拾には向かわず、発散に向かっていた。ここで、フロアから、桑原横幹協議会会長が、次のように言葉を添えた。「いずれにしても、CRESTでこんなプロジェクトをやったというのは、画期的で素晴らしいことだと思える。というのも、新しいものを産みだそうという意欲が、日本の社会全体に、今は、もう無くなってしまっているのではないかと危惧されるからだ。振り返ってみれば、宅配便やウォークマン、そして、カンバン方式など、日本の社会は常に、新しいものを産み出して成長してきた。実は、今、産では、何が売れるのかが分からなくなってしまっている。ここにおられるような実績をお持ちの皆さんが、アートを産に注目させるようにして貰えないだろうか。例えば、5年間に3つくらいのペースで、大きなテーマを挙げて、イノベーション、文化の創造を起こして貰いたい。アートとかデザインというのは、産の側からは見えないものだからだ。美については、これからの社会のありようとして、探索に値するものだと考えられる。」これについて、講師からは、「その際に、社会と学問が横断するという視点が、私には、とても大切だと思われる。社会の側は、我々がお願いをしただけでは、誰も使ってはくれないからだ」という感想が添えられた。
ここで、時間が迫って来たことから、司会者が最後の質問をした。「デジタルメディアは、産業になると思うか」と。各講師が、一言づつ答えた。「私は通信工学の研究を、NTTと一緒にやってきた。音声回線の品質を、どうやって向上させるか、効率を上げるのかなどを考えていたところに、伏兵のように、インターネットが登場した。これと同じような事が、産業の中では常に起きるのではないだろうか。今は、転換期だと思うので、マーケティング的にどうかといった事とは全く違った動きが、いずれ出てくるだろうと思われる。いずれにしても、桑原会長が言われたように、イノベーションをしなければならない。単に、ソリューションには終わらないように心がけたい。」これに続けて、桑原氏が再度発言された。「そう言えば、トヨタ、日産、ホンダが、次の時代の日本の交通網をどうするのかということを考えていて、なかなか良いところを突いているようだ。例えば、こういった領域などにも、社会における美ということから、何か社会に受け容れられるものが出てくる事を期待したい。」
講演者が、質問に対する回答を続けた。「産業になるかどうかについて言えば、プラットフォームができるかどうかが大きい要因のように思われる。例えば、iPS細胞は、プラットフォームになる技術である。学は、産業化のためには、研究者が偏愛するような素材を生み出さなければいけないだろう。」「科学技術も、発展をするためには、いろいろな役割の人が必要になる。監督、プロデューサ、選手が必要なのだが、今は.選手ばかりが目立っている印象がある。大局を見て要員の配分ができる監督であるとか、プロデューサとしての予算管理やスケジュール管理ができる人たちというのも、この国の政策決定の現場では不足しているように思える。」
ここで、フロアから質問があった。「話を伺ってくると、工学者の素養を持ったデザイナやアーティストたちは、待っていても出てくるという人たちでは無いように思える。そうすると、こういう人たちは、育成ができるのか。」講師からの回答は、次のようであった。「大学で、学問の基礎をきっちりと学ぶことが、次の発展につながるのではないか。例えば、日本画を学んで洋画やポップアートで成功する人たちがいるが、メディアアートのような新しい分野に関しては、クラシックを修めてポップスで名をあげるといったイメージに近いのでは無いか。基礎を大学で学んで、その発想を別のところに持って行くことで、新たな世界が開ける可能性があるだろう。」「しかし、今、中学や高校では、説明、批判、分析ばかりを学ばせている。講師の方々が先ほどから指摘されているように、創造することについての訓練を全く受けていないのが一番の問題だ、と私は思っている。」
最後に、出口横幹連合会長から、この4月で横幹連合が10周年を迎える事に言及した上で、「これからも横幹連合として、横断型基幹科学技術研究の普及に向けて、更に頑張って行きたい」と挨拶があり、盛会のうちに今回の技術フォーラムは終了した。
(文責編集室)   
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