横幹連合ニュースレター
No.021, Apr 2010

<<目次>> 

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課題解決の舞台に立つ横幹連合
舩橋誠壽
横幹連合理事
横幹連合/(株)日立製作所

■活動紹介■
●第24回横幹技術フォーラム

■参加学会の横顔■
●行動経済学会

■イベント紹介■

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横幹連合ニュースレター

No.021 Apr 2010

◆参加学会の横顔

毎回、横幹連合に加盟する学会をご紹介していくコーナーです。
今回は、行動経済学会をご紹介します。
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行動経済学会

ホームページ: http://www.iser.osaka-u.ac.jp/abef/

会長 加藤英明

(名古屋大学 教授)

 
【経済行動のバイアスを理解し生活と社会に役立てる】

 これまでの標準的経済学は、様々な経済現象を、合理的な人間行動の結果として整合的に説明することに成功し、経済政策などに有効に用いられてきました。しかし近年、貨幣に対する選好の特殊性、習慣形成による選好の変化や、不確実な状況での損失回避行動など、狭い意味での合理性の仮定と矛盾するような実証結果が、多く人々の行動に観察されるようになってきました。また、合理的な人間行動だけを前提とした理論では、バブル経済やクレジットカード破産などの社会の病理を描写することも難しいのが現実です。このような現在の経済学が直面している隘路を乗り越えるために、狭い意味での合理性の仮定を見直し、人間が経済社会の中で実際にどのように行動しているのかを研究する科学、行動経済学の発展が不可欠になりました。2002年度にダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞してから、日本においても「行動経済学」に注目が集まっています。この関心は一時的なものではなく、行動経済学の重要性は、経済学の歴史的発展の必然的なひとコマであると言えるでしょう。
 1980年代には、代表的個人の効用最大化という形で、マクロ経済学にミクロ的基礎が与えられ、その結果、「人間行動」に対する経済学者の関心が一挙に高まりました。これは学問上の一大進歩ではありましたが、合理的個人の選択が直接にマクロ変数を決定するよう記述されていることから、社会の病理を描写することがますます難しくなりました。現在の経済学が直面している隘路(あいろ)を乗り越えるために、行動経済学の発展が不可欠になっているのです。それにもかかわらず、残念なことに日本の経済学界の反応は極めて鈍いのです。たとえば、行動経済学を授業科目として教えている大学は、現時点では極めて少数で、実業界や学生の関心の高まりに、学界が十分答えてきたとは言えません。そうした中で、われわれは、学会設立までの3年間に6回にわたって、東京と大阪で「行動経済学ワークショップ」を開催し、行動経済学研究の促進を図ってきました。そうした成果を踏まえ、日本における行動経済学研究の飛躍的な発展を図るべく、本学会は、その研究に関心のある広い分野(経済学、ファイナンス、会計、経営、マーケティング、心理学、政治学など)の研究者、実務家、学生に対して、核となり交流を深める場を提供するため、2007年に設立されました。
 この学会につきまして、会長の加藤英明先生にお話を伺いました。

Q  米国の行動経済学者ダニエル・カーネマン教授は、「人間は、過去の失敗には学びにくく、自分の置かれている状況に対して過度に楽観的になる傾向がある」ことを実験的な手法で示しています。不幸な結果を、もたらしかねない、このような思い込みは、一般の被験者だけではなく専門家である科学者にも共通していて、特にそれが数少ない法則だけを信じている(経済学者を含む)科学者の場合には、「小さな標本に基づく結論の正当性を、誇張気味に確信するだろう」とも懸念されています(注1)。さて、日本では1990年に不動産価格の高騰が崩壊し、米国でも行動経済学者ロバート・シラー教授の「Irrational Exuberance」(邦訳「投機バブル 根拠なき熱狂-アメリカ株式市場 暴落の必然」、原著2000年)がベストセラーとなった後に、同書の分析を裏書するかのような2008年の米国のリーマン・ブラザースの破綻が生じ、一連の金融危機が誰の目にも明らかになって、その混乱は現在も続いています。こうした一連のことから、経済学と認知心理学を融合した「行動経済学」には、これまでの経済理論の限界や弱点を明らかにする研究分野として、最近とみに注目が集まっていると言えるでしょう。
 ところで、加藤会長は、本学会を非会員にご紹介されますときに、どんな風に説明をしておられますでしょうか。

(注1)トヴェルスキーとカーネマンの論文「BELIEF IN THE LAW OF SMALL NUMBERS(小数の法則の確信)」(1971年) より引用。共同研究者のエイモス・トヴェルスキー(認知心理学者)は、惜しまれつつ1996年に逝去。(注釈の文責は、編集室による。以下同じ。)

加藤会長 (18世紀後半以降の)伝統的な経済学が前提としてきた人間像は、経済活動における判断や認知に関して完全に合理的で、好み(嗜好)に矛盾が無く、その嗜好に基づいて、自分の満足(効用)が最も大きくなる行動、期待値が最大になるような行動を行う、と考えられてきました。これは今日でも、大多数の経済学者が前提としている人間像です。そして、伝統的な経済学では、合理性を前提にモデルを作ってその精緻化(せいちか)を目指すという傾向があります。ところが、実際には社会の中で、このような意味で「合理的にふるまう」人間像は、割合から言えば少数派ではないでしょうか。その結果として、従来の経済学の理論だけでは説明のつかない「矛盾」や「アノマリー」(例外、変則的な現象)が、経済社会では数多く報告されるようになりました。
 例えば、同じ金額1000円を「儲ける確率と失う確率が五分五分である」という賭けが仮にあったとしますと、合理的な経済人であれば「儲けの1000円と損失の1000円は同じ効用を持つと考えるだろう」と仮定されてきました。しかし、これを「紙と鉛筆」による簡単な質問に直して、実際に大学生、教員、一般社会人などに尋ねてみたところ、カーネマンとトヴェルスキーの計算では、どのグループでも損をしたほうが得する場合よりも、心理的に2.5倍くらい痛手が大きいと感じられていることが分かりました。また、最終的には同じ年収300万円を得たという場合でも、これまでの年収が100万円だった人(判断の基準となる「参照点」が100万円だった人)が300万円の年収を得るようになった場合と、これまでの年収が500万円だった人が300万円になった場合とでは、同じ金額(200万円)の利得と損失の違いであっても、その喜びと痛手の感じられ方が同じではないということは、常識的にも明らかです。
 こうしたアノマリーは、モデルの精緻化(せいちか)を目指すこれまでの経済学の中では、比較的小さな、無視できることのように扱われてきた訳です。アノマリーな行動は、お互いに打ち消しあって、全体としての影響は軽微であると考えてきました。しかし、実際にはアノマリーな行動は打ち消されず、増幅されて、大きなインパクトを社会、経済に与えます。例えば、今回の(米国の)不動産バブルを考えてください。専門家であるはずの大勢の人たちが、どうして非合理で楽観的な行動に走ってしまったのか、などを分析することは、従来の経済理論の限界や弱点を明らかにすることにつながるはずです。このように、行動経済学は、人間がそもそも合理的にはふるまえない、アノマリーな存在で、その行動が社会・経済に影響を与えるのだということを、数多くの実例を通して示してきました。
 伝統的な経済学では説明が難しい、こうした実際の人間の経済活動におけるアノマリーを説明するために、行動経済学者は、「プロスペクト理論」(注2)や、ヒューリスティック(注3)という日常的な問題解決法、双曲型割引モデル(注4)などを提唱して、それらを論証してきました。「プロスペクト理論」に関する論文を1979年に書いて注目されたカーネマン教授が、ノーベル経済学賞を2002年度に受賞したことは、「行動経済学」への注目を一気に高めました。カーネマン教授のほかには、著書「投機バブル 根拠なき熱狂」(原著「Irrational Exuberance」)のペーパーバック版(2001年刊)が米国でベストセラーになったロバート・シラー教授(イェール大学)が、「行動経済学」の分野での代表的人物の一人です。
 ところで、「行動ファイナンス」は、現在では行動経済学の一分野であると認識されていますが、そのスタートは早く、80年代の株式市場のアノマリー研究に端を発して、数多くの研究が蓄積されてきました。その意味では、行動経済学ブームが起きる前から「行動ファイナンス」という分野は存在していたといえるでしょう。特に、お金による損得が、はっきりと現れ、最も合理性が追求されるはずの金融市場で、「人々の行動が必ずしも合理的とはいえない」ことは衝撃的でした。ランダムウォークするはずの株価の動きにパターンがあったり、企業買収(M&A)の際に購入する株式を高めに評価してしまったりする理由などを、行動ファイナンスからのアプローチが鮮やかに論証してきたのです。リチャード・セイラー教授(注5)が、行動ファイナンスの分野での代表的な人物です。
 「行動経済学」に関しては、今では数多くの入門書、専門書が出版されています。本学会のホームページにも、これまでのフォーラムの配布資料などが多く掲載されていますので、面白そうだと思われた方は、是非、立ち寄ってみて頂きたいと思います。

(注2)「プロスペクト理論」では、リスクを伴う決定に際して、決定者の満足の度合い(効用関数=価値関数)は判断の基準となる「参照点」からの乖離であると考えている。例えば、金融市場の動向予測などでは、マスコミなどから予断を与えられると、それが判断の「参照点」となることが多い。また、仮に期待値の「額面」が同じであっても、「参照点」から見て、得をするときには決定者はリスクを避け、損をするときにはリスクをとる傾向が見られる(ただしリスクが大きめの場合)。「プロスペクト理論」は、カーネマンとトヴェルスキーが、1979年に Econometrica誌に発表して行動経済学の出発点になった歴史的な論文のタイトルに使われて、有名になった。このように、行動経済学のモデルは、最適解(規範的合理性)を求めることよりは、「である」としての記述的(descriptive)な合理性に立って、現実の選択がどのように行われているかをモデル化することを目指している、と考えられている。
(なお、編集室による注釈の作成に際しては、依田高典著「行動経済学」中公新 書2010年、友野典男著「行動経済学」光文社新書2006年、Wikipedia、勝間和代 「行動経済学フォーラム」講演資料 などを参考にさせて頂きました。記して感謝申し上げます。以下同じ。)

(注3)ヒューリスティックは、「発見的推論」とも訳される。不確実なことがらに対する判断や、問題解決に際して、判断に明確な手がかりが無いとき用いられる、便宜的、発見的な推論。(判断に明確な手がかりのある推論は「アルゴリズム」で、これに対比される。)「ヘビースモーカーの祖父が100歳まで生きたのでタバコに害が無いと考える」ことなどが、例として挙げられる。最初に示された特定の数字の印象によって判断にバイアス(偏り)が生じること(例えば、ある家電の定価は×円ですが値引きします、と言われると安く感じること)などが指摘されている。

(注4)双曲型割引(Hyperbolic Discounting)モデル:他人に貸したお金を返せと請求して「今×円返すのと、3ヵ月後に御礼を含めて5万円返すのと、どっちが良い?」と聞かれたとすると、ここでは3ヵ月後の返済額を「現在の価値に割り引いた金額」と現在の×円とを比較していることになる。さらに「3ヶ月後の5万円は、6ヶ月後なら6万円にする」と提案されて6万円を選んだ場合には、従来の経済学であれば指数型割引関数を想定しているので、3ヵ月後でも(そこから更に3ヶ月先の)6万円を選択するだろう、と考える。しかし、3ヵ月後になると、やっぱり5万円返してくれよという人が多い。このように、多少期待値より低くても「現在重視の時間選好に従う」人が多いという人間のアノマリー(変則的な現象)を説明するために、割引現在価値として(従来からの指数型モデルの価値は認めつつも)双曲型割引を考えるほうが、より現実を近似できると考える割引モデル。例えば、価格は安くてもランニングコストの高い旧タイプのエアコンは、合理的に考えれば売れないはずだが、実際にはそちらも良く売れていることなどを上手く説明できる。

(注5)リチャード・セイラー。1945年生まれ。シカゴ大学経営大学院教授。「市場と感情の経済学―「勝者の呪い」はなぜ起こるのか」(原題「The Winner's Curse」)は1992年に米国で刊行され、行動ファイナンスのとても優れた入門書として注目された。1998年に邦訳が、ダイヤモンド社から出版されている。


Q 最初に示された特定の数字の印象で人間の判断にはバイアス(偏り)が生じる、という行動経済学が有名にした判断の性向に関しては、じつは日常生活のいろいろな局面にその事例が見られます。加藤会長は著書「野球人の錯覚」で、2005年度のセ・パ公式戦846試合を分析されて、例えば「四球で出塁させるなら、ヒットの方がまし。試合の流れが悪くなる」とか、エラーで流れが悪くなる、ホームランは流れを変える、といった専門家の語る「野球のセオリー」には、確率的な根拠が、じつは、ほとんど無いことを論証し、これも最初に見た数字の印象で判断にバイアスが生じる「人間のアノマリー」の例証であることを示されました。
 加藤会長のご研究の概要を、ご説明下さい。また、会長はどんなきっかけで、この学会に入会されたのでしょう。
加藤会長 先にもお話しましたが、80年代には株式市場のアノマリーが、ファイナンス(金融経済学)の分野で非常に注目されていました。私は、もともと経営工学の出身だったのですが、ユタ大学エクルス経営大学院に留学して「ファイナンス」の Ph.D.を取得しました。そこで、日本の株式市場のアノマリーを検証した論文を書いたことが、行動ファイナンスの道に入るきっかけだったと思います。博士課程を修了した後、カリフォルニア州立工科大学、南山大学、ユタ大学、トロント大学、筑波大学、神戸大学、大阪大学、名古屋大学、一橋大学などで教授、客員教授を務めてきました。主な研究分野は、ファイナンス(株式市場の効率性、コーポレートガバナンス、コーポレートファイナンス)です。
 2004年の夏、第一回「行動ファイナンスワークショップ」が上智大学で開かれ、そこで私は、行動ファイナンスについて基調講演をいたしました。その後、年に2回のペースで、大阪で3回、東京で2回ワークショップが開かれました。大阪でのワークショップを主に企画したこともあり、学会を設立しようという話が出たときは、その設立準備委員にもなりました。
 ところで、ワークショップの開始当時は、「行動ファイナンス」がカバーしている金融関係の人たちをターゲットにしていました。企画責任者の多くがその分野の人たちだったことも、影響しています。しかしながら、今後より広い分野の人たちを対象に、ということで、その名称が「行動ファイナンスワークショップ」から「行動経済学ワークショップ」へと変わりました。
 さて、ご紹介をいただいた「野球人の錯覚」は、私の著作中ではやや異色で遊び心で書いたものです。「株価変動とアノマリー」「行動ファイナンス」「M&Aと株価」「天気と株価の不思議な関係」などが主著となります。発表論文は、ファイナンスのトップジャーナルであるJournal of Financial Economics、Review of Financial Studies、Journal of Financial and Quantitative Analysis、Journal of Banking and Finance などに掲載されています。

Q 今後の本学会の向かわれる方向について、お尋ねしたいのですが。
加藤会長 本学会の大会のプログラム を見て頂くと、そこで扱われるテーマは非常に幅広いということが分かります。従来から盛んなファイナンスの領域のみならず、経済政策や労働のインセンティブ、マーケティングなど、認知心理学などが経済学に奥行きを与えてくれる領域に、今後も面白い研究が展開されるだろうと期待されています。
 会員には、経済学、ファイナンス、会計、経営、マーケティング、心理学、政治学などの幅広い分野の方々がおられます。例えば、従来からマーケティングの分野には(合理的でない消費者の動きを)統計的に扱うノウハウがありましたが、こうした方々と一緒に、行動経済学の用語で広く語り合える場が出来たことは、大変すばらしいことだと思います。また、法律学や、医療分野(医者と患者の関係)などにも行動経済学の考え方は活用できるのではないでしょうか。現在、200名余りの会員数ですが、こうした観点からも多くの方たちに会員になっていただいて、行動経済学のフロンティアが更に広がってゆけば、と考えています。
 残念ながら、伝統的な経済学の分野には、合理性を前提にモデルを精緻化(せいちか)していくという考え方は強く、経済学のフレームを「ゆるめる」にしても、非合理性を考慮する必要はないとの考え方は主流です。しかし、アイザック・ニュートンのような優れた知性でも、人間のアノマリーに翻弄されて、バブルがはじけたときに大きく損をしました(注6)。今回の世界的な金融危機の、原因のひとつにも、追随行動によるバブルの発生がありました。誰もが陥る罠に焦点をあてた行動経済学的なアプローチが、求められているのではないでしょうか。
 本学会は、海外の学会との直接の交流はありませんが、会員の多くが国際学会に参加したり、海外の権威ある経済誌に論文が掲載されたりしています。本学会の大会、ならびに前身のワークショップでも、ノーベル賞への登竜門と言われるジョン・ベイツ・クラークメダルを受賞したマシュー・ラビン教授(UCバークレー)やロバート・シラー教授、そしてジョージ・ローウェンスタイン教授(カーネギー・メロン大学)などの著名な行動経済学者を海外からお招きして、興味深い講演を直接お聞きする貴重な機会を持ちました。
 現在、ウェブの学会誌「行動経済学」を刊行しており、その充実した内容は学会のホームページでご覧頂けます。ご関心をお持ちになった方には、是非ご覧頂きたいと思っています。この学術誌は、近い将来、J-STAGE(科学技術情報発信・流通総合システム)に移転掲載される予定になっています。

(注6)中南米貿易を独占していた南海会社の1720年1月に128ポンドだった株価は、半年で1050ポンドにまで急騰した。ところが、更に半年経った歳末には元値近くまで下落してしまった。これが「バブル」の語源となった南海泡沫(サウスシー・バブル)事件の顛末だが、ニュートンもバブルに踊って、大枚2万ポンド(今の1億円位)を失った。知的な人でも非合理な熱狂にあおられて損をした例として、歴史に名を残している。(注釈の文責は、編集室)

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