横幹連合ニュースレター
No.028 Feb 2012

<<目次>> 

■巻頭メッセージ■
「Giorgio Quazza
メダル受賞の報告」
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横幹連合監事
(独) 理化学研究所 BSI-
トヨタ連携センター センター長
木村 英紀

■活動紹介■
●第32回横幹技術フォーラム

■参加学会の横顔■
◆国際数理科学協会

■イベント紹介■
◆「横幹連合定時総会」
●これまでのイベント開催記録

■ご意見・ご感想■
ニュースレター編集室
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横幹連合ニュースレター
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横幹連合ニュースレター

No.028 Feb 2012

◆活動紹介


【活動紹介】  第32回横幹技術フォーラム
    テーマ:「情報共有による社会インフラの強靭化~システム技術の新たな挑戦課題~」に参加して
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第32回横幹技術フォーラム

テーマ:「情報共有による社会インフラの強靭化~システム技術の新たな挑戦課題~」
日時:2011年12月9日
会場:文京シビックセンター(最寄駅 地下鉄 春日,後楽園)
主催:横幹技術協議会、横幹連合
総合司会:舩橋誠壽氏(横幹連合)
講演:目黒公郎氏(東京大学教授、生産技術研究所 都市基盤安全工学国際研究センター長)、古田一雄氏(東京大学教授、大学院工学研究科システム創生学専攻)

プログラム詳細のページはこちら

【活動紹介】
辻内賢一氏(日立製作所OB)

 今回の技術フォーラムの副題は、「システム技術の新たな挑戦課題」というもので、出口光一郎横幹連合会長の的確な表現を借りれば、「我々に新たな挑戦を促す、シャープな内容」の講演であった。出口会長は、前回のフォーラムの最後に、防災のためのシステムについて、「人間的な要素により本来なら予防できたはずの被害が出てしまう、といった不完全さを無くす技術上の工夫」が、横幹的な、システマチックなアプローチで実現できないだろうか、という問題提起をされたのだが、正に、その挑戦課題を具体的に示す内容だったと言えるだろう。

  講演の一番手として、目黒公郎氏(東京大学教授)が「強靭な社会インフラを実現するための情報マネジメントの考え方」をテーマに、広範囲な内容を論じた。氏の講演は、発生自体を、この国では予防することができない大規模地震や大津波の「現場」の視点に立脚したもので、あらゆる手段を駆使して防災に取り組み、災害の現場ではその被災を軽減し、また、復興においては被災地域の将来的な課題をその中に取り込もうとする強い姿勢が感じられた。
 ちなみに、もう間もなく「来る」と予想されている「首都圏直下型大地震」に関して言えば、会場にいる聴講者全員に被災者となる可能性があるので、東日本大震災を踏まえたその防災対策として、「災害イマジネーション能力」を磨く必要性を氏は強調した。
 具体的には、氏の開発した「目黒巻(めぐろまき)」という書式の中に、災害発生後の状況をイメージして、自分を主人公にする物語を作ることが勧められるという。そこには、自分が、いつ、どこで、大地震に遭うか(就寝中か、会社での仕事中か?)、そして、地震発生の10秒後、1分後、… 1日後、3日後、…半年後には、自分は、どこで何をしているだろう、家族はそのときどこにいるだろう、といったことを、細部まで想像して書いてみるのだという。
災害状況イメージトレーニングツール 目黒巻
作り方
 被災した場所が、会社の就業中であれば、被災者の自分は帰宅を考えるわけだが、帰宅経路の安全が確認されていない状況では下手に動かず、NTTの提供する「災害用伝言ダイヤル」などで家族間の無事を確認し合い、自分は、例えば、その場で直ちに多くの人数が必要とされる災害ボランティアの人材として、安全を確認した上で救援活動に従事する、といったシナリオも望ましいそうだ。また、目黒氏のゼミで目黒巻を学生たちに書かせたところ、ある学生が、「自分はどうやら、死んでしまいそうだ。生き抜く自信が全くない」と、目黒巻を前に途方に暮れていたときには、自分を失って家族がどれだけ嘆くかを指摘することで、地震が起きても絶対に生き抜こうとする気力を回復させ、更に、どう行動すればハッピーエンドになるシナリオが書けるのかを、前向きに考えるようにできたという。
 ところで、この目黒巻の時間軸を逆方向にして、災害が発生するまでの、例えば、半年前や1時間前には、災害の準備として何ができるのか。そして、30秒前には、何ができるのか。例えば、30秒前には緊急地震速報を聞いて、家族に電話して注意を喚起することであるとか(目黒氏の3.11当日の行動がそうだったという)、遅くとも数日前までには、家族との連絡方法や集合場所を決めておく、といった事前の準備が大切であるのだそうだ。企業にとっても、事前の「事業継続計画」が非常に大切であることが、前回第31回の技術フォーラムで指摘されていたが、個人にとっても、災害が起きた後の限られた資源しか得られない状況で、泥縄的な対処をするよりも、災害の前であれば、それとは比較にならない余裕のある準備ができるのだから、そうした意味からも、目黒巻を使った災害イマジネーション能力向上の訓練が重要であることは充分に納得できた。
 目黒氏ご自身の、実学としての活動は多岐にわたり、「構造物破壊のシンプルで高精度な解析法の開発」「わが国の、既存不適格建物の耐震補強を普及させる環境整備に関する研究」「次世代型防災マニュアルと災害情報システムの研究」「東海・東南海・南海地震の連動や首都直下地震後における研究の成果を、実社会に実装する体制の整備」などなど、現象説明型の研究から対策実現型の研究への移行を志向しているのだという。その実現のために、地震対策議員連盟の設立支援や、全国4万6千人の防災士の育成支援、世界の草の根防災活動(インド洋沿岸諸国を対象とした安くて効果的な津波被害軽減システムや、$100耐震補強工法と推進制度の提案など)や、絵本・コミックなどの分かりやすい情報提示・出版といった数多くの活動を行なっており、いずれもが、災害の現場に立脚しようとする氏の強い姿勢に裏付けられている。
 特に、総合的防災力の向上に貢献する「次世代型防災マニュアル」に関しては、従来の(行政・企業の用意する)防災マニュアルが、分厚い割には99%が本番の役に立たずに改訂され、「マニュアルにさえ従っていれば、後で私は責任を問われない」といった使われ方をされるために対応が後手後手になったり、個人の工夫が組織に遺伝するしくみになっていない、などの根本的な問題があることを氏は指摘した。氏がセンター長を務める「都市基盤安全工学国際研究センター(ICUS)」が提案している防災マニュアルでは、組織の各人が「当事者」として、時間別部署別に「何ができるか」を各自固有のマニュアルとして作成し、それを互いにつきあわせて(あら捜しをして)検討をしておく、という作成方法が推奨されているという。(マニュアルを片手に災害対策にあたっている、といった使われ方は、災害の現場ではあり得ない訳だから、)こうした作成方法をとることで、マニュアルが完成した時点では、全体の業務の流れや達成目標、災害時の各人の役割や行動の意味がしっかりと各人に把握できていて、防災マニュアルが無くても各人が効率の良い素早い対応を取ることができることが期待される。つまり、「防災マニュアルを作成する目的は、作成する過程を通して、マニュアルを要らなくする事だ」との氏の主張には、目から鱗の落ちる思いがした。
 また、この防災マニュアルには、問題点の洗い出しや、対処法や、その評価について、全てがデータベースとして蓄積されていることから、被災した個人の行なった工夫が、組織に遺伝・蓄積させられるのだという。それで、個人別(例えば、首相、知事、市長別)のマニュアルを用意しておけば、人が替わってもノウハウが共有されて、個人による対応の差が生じにくくなるとの説明があった。前回のフォーラムで出口会長が指摘された、「人間的な要素により本来なら予防できたはずの被害が出てしまう、といった不完全さを無くす技術上の工夫」に当たるのでは無いだろうか。
 まとめとして、氏は次のことを強調した。「防災対策の効果と優先順位には、自助≫共助≫公助の順がある。生命・安全の確保なくして、集中力のある災害対応は無理なのだから、自分・家族≫地域・仲間(そして、≫組織・会社)を守るために、今、自分のするべきことは何かを真剣に考えてみて頂きたい。そして、行政の側も、防災における『情と理』を良くわきまえて、ローカルに近視眼的に良さそうに見える対策だけではダメで、納税者に説明責任が果たせるかどうかを常に吟味して、行動して貰いたい」と講演を締めくくった。
 この最後の論点については、講演の中では(時間の制約から)ほとんど触れられなかったのだが、会場から受けた質問に対する質疑応答の中で、氏は、日本の「社会システムの変革の必要性」に関連して次のように述べた。大震災で一番大切なものは「乾パンの賞味期限」や「毛布の数」ではないのだ、という。「阪神淡路大震災の際には、住宅の倒壊(一部に家具の転倒)を原因に95.5%の方が亡くなっており、元気な若者が多く亡くなっているのも、耐震性能の低い安アパートに住んでいたことが原因であった。また、犠牲者の92%が地震直後の14分間に亡くなっており、自衛隊や消防が早く駆けつければ犠牲者の数を減らせた、という議論は間違いである。更に、地震直後の出火率も、建物全壊率の高い地域で非常に高かった。ということは、地震対策として最優先するべきことは、耐震性を高めて、建物を壊れないようにすることである」という。そこで、事前に自宅の耐震診断をして補強した建物には、地震直後に行政からの優遇支援が受けられるような公助制度の新設が望ましいことを、氏は提唱している。このことは、氏の著書「間違いだらけの地震対策」(注)に詳細に述べられている内容でもあるので、同書を是非ともお読み頂きたい、と、私からもお薦めしたい。しかしながら、この国の行政の仕組みは、国民が事前に震災に対して何かの行動を起こすということを全く考慮していないシステムであるために、このことに対応できる予算措置などが皆無であることから、こうした点をブレークスルーできない限り、日本の社会システムは真に改革することができないだろう、と氏は強調した。

(注)目黒公郎著「間違いだらけの地震対策」(旬報社、2007年)には、「建物の崩壊数が少なくなれば、地震直後に亡くなる方の数も減り、火災の発生も抑えられる」ということの例証として、2004年の新潟県中越地震が紹介されている。新潟は、豪雪地帯であるために建物の柱などが太く、結果的に耐震仕様にもなっていたことから、そうした被害が少なかったのだという。東日本大震災でも、この点に関しては同じであったと思われる。そうすると、例えば、耐震仕様の家屋が東北に比較して少ない首都圏直下型大地震に対する備えとしては、第一番に住宅の耐震強度を高めることが求められるはずだ。目黒氏の質疑応答での発言は、この議論をふまえてのものだと考えると分かりやすい。事前に住民が自宅の耐震診断を行なって、耐震補強を済ませた建物が多くなれば、公費による災害からの復興費用も格段に軽減できるはずだからである。ところが、行政の考える公助は、(誤解を恐れずにあえて書けば)地震対策をしていなかった被災建物のガレキ処理であったり、自宅が崩壊した被災者のための仮設住宅の建設に目が向けられがちである、という。この現状については、建物の耐震補強を、もっともっと普及させて、災害復興のための公費の支出を総額として見直すべきである、というのが同書における目黒氏の主張である。(ただし、そうした事実を知らされないままに家屋が倒壊した被災者は、もちろん公助を受けるべきであるし、今回の東日本大震災の場合には、津波によるガレキの処理や放射能汚染の問題が大きいので、地震による家屋の倒壊とは別に論じられるべきだろう。)質疑応答における氏の議論は、今後の首都圏直下型大地震における防災対策などに、是非生かされるべきだと思われる。(注釈の文責、編集室。)

 続いて、古田一雄氏(東京大学教授)が、「レジリアンス工学:リスクマネジメントのシステム論的展開」と題して講演を行なった。
 (防災)工学における「レジリアンス」の意味は、想定外の外乱に対して、そのシステムの機能を維持(持続)しながら効率的に回復ができるような、そのシステムの有する「弾力性」「回復能力」「しなやかさ」のことであるという。その特徴として、① (システムの内部に)外乱による損害を避ける・軽減することのできる性質、robust(ロバスト)性を持つ。② 想定外の外乱へのresponsive(応答性・敏感さ)、そして、③ recovery(回復・復旧力)などを有することが挙げられる。
 後に詳しく述べるが、従来のシステムの安全性は、線形モデルを仮定して計算されてきたという。システムの故障は、システム要素(特定の部品の故障や、人間の犯したミス)に根本原因があると解釈され、安全対策としては、故障しそうな部品を予め交換してしておくことや、人間が不可避的にエラーを起こすような状況を特定して、それを防止することで事故は防げる、と考えられていたそうだ。
 しかし、米国の社会学者Charles Perrowが、1984年の著書「Normal Accidents: Living With High Risk Technologies」の中に「創発的な変動性」(後述)という新しい事故モデルを提唱したことで、防災の考え方は大きく変わったという。「大規模システムは本来、非線形で、その複雑さは人間の理解を超える。また、故障の原因となるシステム要素には、離れた要素間に、予見できない強結合が存在している。更に、安全装置を付けると、それが故障の原因となる場合がある」などのPerrowが同書で展開した知見は、当時の安全性工学の学者たちの神経を逆なでするものであったという。しかし、1986年1月の米国におけるスペースシャトル「チャレンジャー号の爆発事故」や、同4月のソ連の「チェルノブイリ原子力発電所事故」などを契機に、従来のリスクマネージメント技術では、大規模システムにおける現実の事故を防止できないということが認識されてPerrowの著書は改めて注目され、今日では、認知工学者らがモデル化した「機能共鳴」事故モデルのほうが、非線形系システムや複雑系システムの事故モデルの説明としては「居心地が良い」と認識されてきているのだ、という。
 事故の「機能共鳴」モデルは、次のような図で説明される。

図
 
 <図1>

 この図では、あるシステムの機能パフォーマンス(時間軸に沿った要素機能の発現)は、絶えず変動をしている。その、複数の要素機能が「共鳴」したときに、創発的な(部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が全体として現れるような)機能破綻がシステムに生じる場合があるという。これが、機能共鳴モデルだということだ。
 これを平たい言葉で言い直せば、新しい「システミックモデル」(後述)におけるリスクマネジメントの考え方には、次のような原則が見られるという。
「成功と失敗の等価性」:システムを(安全に)稼働させている制御が、「成功」を続けるか「失敗」する場合があるか、については、システム機能の変動に由来しているので、成功と失敗の両者に本質的な差異はない。つまり、大規模システムにおいては、事故は起きる、と考える方が自然である。
「調整の不完全性」:システム機能の変動を抑えるための調整は、資源的な制約のために不完全(近似)とならざるを得ない。
「創発性」:非線形系における多数のシステム機能の変動は、システムの創発的な振舞いを生じる。
「機能共鳴」:多数のシステム機能の変動が共鳴して、安全限界を超えたものが「事故」である。
 (以上については、「FRAM=Functional Resonance Accident Model の4原則」と呼ばれている。)
 従来の事故モデルは、確かに、このようなものでは無かった。古田氏が解説した「安全問題の変遷の4つの時代区分」は、以下のようなものである。私にとっては、今まで何となく理解していた内容が、氏によって明快に解説された体験であった。
 1960年頃までの「技術の時代」には、特定の技術が問題の主要な発生源と考えられていたという。世界最初のジェット旅客機であるイギリスの「コメット」機には、機体の金属疲労による空中分解事故が連続して生じていた。その事故の原因は、金属工学が発展することによって解決されたそうだ。そして、1980年頃までの「ヒューマンエラーの時代」には、個人が主要な問題発生源であるとされた。1979年のスリーマイル島原子力発電所の事故が、その典型と言えるだろう。その後の、2000年頃までの「社会・技術の時代」には、社会・技術の相互作用や組織間の関係不全が、事故の主要な問題発生源であるとされてきた。この時代の、チャレンジャー号の事故、チェルノブイリ原発の事故については先に述べた。
 そして、これらをふまえた2000年以降が、「レジリアンスの時代」であると古田氏は言う。想定外の外乱に対する脆弱性が問題の発生源であって、9.11 WTCビルの崩壊や東日本大震災が、その典型だと言えるのではないだろうか。
 ところで、これらの時代区分には、3種類の事故モデルが重なっている。① 「線形モデル」=単一の根本原因が特定できるモデル、② 「疫学モデル」=複数の潜在要因があるモデル、③ 「システミックモデル」=創発的変動性を示すモデル、である。これらの時代区分を含めて図にしたものを、下に示す。

図
 
 <図2>

 ここで、(レジリアンスの時代の)「システミックモデル」には、「システムの機能パフォーマンスは絶えず変動する」という前提があって、「要素機能の変動の、共鳴による創発的なシステム機能の破綻が、事故の原因となる」という特徴がある。従って、防災対策としては、次のような実践が望ましいとされる。
平時からの「学習」:(事故は、まれにしか起きないので)悪い結果だけでなく、良い結果からも学んでおくこと。
反応」:何かが起きた時には、直ちに反応すること。共鳴の予兆があれば直ちに変動を抑制して、危険回避の行動をとる。
「監視」:状況をモニターして、何が重要かを理解すること。共鳴の予兆を、常に見逃さない。
「予期」:長期の脅威と状況変化を予測して、事故に備えること。
 このように、事は一見複雑そうになるのだが、逆にこうした認識の上に立って、システムの機能パフォーマンスの変動を抑制しつつ、(外乱の予見の可否に関わらず)必要な機能を継続しながら回復する弾力的な(つまり、レジリアンスな)システム能力を高めることで、大規模システムでは、より一層の安全が確保できるようになる、ということである。
 ちなみに、「疫学モデル」における問題発生源の説明として、「過誤強制状況」(人に不可避的にエラーを犯させるような状況)や、「違反促進状況」の研究が行われていたことが紹介された。後者の「違反促進状況」というのは、良かれと思ってやった善意に基づく行動が、システムの破綻につながる「違反」行為に当たる場合があるということで、例えば、技術者の旺盛な創意工夫の意欲があだになったり、担当者の過去の成功体験・どうしても成功させたいという強い思いが問題を起こすことがある、という説明には、自らを振り返って冷や汗をかいた。「疫学モデル」は、そうした多数の失敗や潜在的条件が、「たまたま重なった」ときに、大きな事故が起きると考えるモデルである。
 こうした過去の知見をふまえて、 システミックモデルにおける事故について改めて考えると、線形モデルの時代の「確率論的安全評価」などで計算すると、100万年に一回しか事故が起こらない、と評価されるような事象でも、現場の運転員が自分に都合良く判断してしまう、といったヒューマンエラーの傾向を併せて考えてみると(人類史上に、全く同じ現象は起きていないかも知れないが)、意外に確率としては、100万年に一回の事象が頻繁に起きているのではないか、と古田氏は指摘した。しかし、大規模システムに、弾力性や回復能力(レジリアンス)をどのように作り込んでゆくか、ということを含めて、実証的な研究については、これからだということである。例えば、「東日本大震災からの復興」というテーマについて、一般公開されている情報から経過日数をたどって復興の状況を評価する学生たちの研究が始まっているそうだが、この研究では、「マズローの欲求段階説」や(マーケティングで良く使われる)「ペルソナ手法」(ここでの説明は略す)を用いた指標を設定して評価している。しかし、まだ一般的な結論は得られていないとのことである。それに関連して、専門家がテレビなどで、あたかも正しい答えを知っているかのように「復興が遅れている」などと断言して語るのは、おかしい、と古田氏は指摘した。最初の目黒氏の講演でも、「阪神淡路大震災では(市区町村合併前の)3300あった自治体の1%だけが被災していたことに比べると、今回の東日本大震災では(合併後の)1750自治体の1割、つまり、日本全体の10分の1が被災している」と指摘されていた。このように、災害の規模が異なる事象を単純に比較して早い遅いを云々しても意味のないことであるし、特に、福島第一原発の事故が絡んだことによっても、今回の震災についての全体像の評価の分析は、非常に複雑で、難解なものにならざるを得ないだろうということであった。
 ともあれ、従来あったリスクマネジメントの考え方では、こうした現実に対処できなくなりつつあり、システミックモデルに基づく新しいアプローチが求められていることと、複雑系の大規模システムにおける事故の解決にあたっては、システミックモデルやレジリアンス工学の発想が有力な手がかりを与えることについては、この講演を聞いて、間違い無いように思われた。

 最後の質疑応答では、防災マニュアルの作成に仕事上、関与している、という方からの防災マニュアルに関する質問や、東日本の復興に非常に時間が掛かっていることを気遣う聴講者たちの思いから、有事の際のリーダーの資質についての質問なども相次いだ。しかし、古田氏は、ヒューマンエラーの知見をふまえて、「人間をエラーの発生源でもあるかのようにマイナスに見るのは間違いである。機械は能力限界の外では無能力になって災害に対処できないのだが、人間はならない。つまり、事故や災害の予防や復興に関しては、人間と機械は補完し合った存在だと捉えるのが最も望ましい」と述べた。
 このように、今回の講演は、まるで優秀な外科医がサクサクと巧みにメスをさばきその病巣へと迫る、 また、優秀な内科医がその症状を確実にたどって病因を明らかにする、まるで そのような施術を見ているように感じられた。東日本大震災の復興や、間近に迫る首都圏直下型大地震に対しても、両氏の講演内容を実践して行く中で、問題が必ず解決されてゆくことを期待したい。

 桑原洋横幹技術協議会会長は参加者への挨拶の中で、東日本大震災での体験もふまえて、世界的な解決を必要とする21世紀の課題がいくつか、明らかになり始めているのだが、大きな問題として、そもそもシステムは複数の技術が融合したものなので、ひとりの人間では複数の専門分野に深い知見を持って解決策を構築することが難しい。そこで、「隣りの技術」に触れる努力が非常に重要となるので、横幹的な手法が真価を発揮し出したと感じている、と述べた。そして、課題や解決方法を大きくとらえたシステムの有効性を、まず日本の社会で実証して、更にそれらを世界に提供して行くことが必要であると、今回も改めて強調した。
 そして、またもや今回も、講演者の方々の配慮にも関わらず、質疑応答の時間が足りなくなって、司会の舩橋誠壽氏(横幹連合事務局長)を困らせる事になった。これは、講演者や参加者が非常に真剣にこのフォーラムに臨んでいるせいでもあって、運営側の努力では解決できない問題である。お天道様が西から昇っても、横幹に関わる人達の熱意や誠意が失われることは無さそうに感じられた。

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