横幹連合ニュースレター
No.034 Aug 2013
<<目次>>
■巻頭メッセージ■
横幹的アプローチ:雑感
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玉置 久 横幹連合理事
神戸大学 大学院システム情報学研究科 教授
■活動紹介■
●第37回横幹技術フォーラム
■参加学会の横顔■
◆形の科学会
■イベント紹介■
◆「第5回横幹連合コンファレンス」
●これまでのイベント開催記録
■ご意見・ご感想■
ニュースレター編集室
E-mail:
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横幹連合ニュースレター
No.034 Aug 2013
◆活動紹介
第37回横幹技術フォーラム
総合テーマ:「未来学」の過去・現在・未来
日時:2013年 3月12日(火)
会場:日本大学 経済学部(JR水道橋駅)
主催:横幹技術協議会、横幹連合
◆総合司会 和田 雄志(日本未来学会 事務局長、未来工学研究所理事)
◆基調講演「半世紀前の未来学ブームと未来学の今日的意義
〜来るべき新世界へ、未来学の果たす役割〜」
林 光(創造工房ナレッジファクトリー代表、日本未来学会理事)
◆各論その1「人口波動で未来を読む
〜人口減少要因への学際的アプローチ〜」
古田 隆彦(現代社会研究所 所長)
◆各論その2「超高齢化社会の近未来シナリオ
〜大規模団地再生から日本の未来が見える〜」
和田 雄志(日本未来学会 事務局長、未来工学研究所理事)
◆質疑応答 司会:和田 雄志 (敬称略)
プログラム詳細のページはこちら
【活動紹介】
3月12日、日本大学経済学部 7号館において、第37回横幹技術フォーラムが行われた。テーマは、「『未来学』の過去・現在・未来」についてである。フォーラムに先立って、桑原洋横幹技術協議会会長から開会のあいさつが述べられた。「日本の産業界は、これまでの『後追いの20世紀』には、見えているマーケットに向けて、いかに安く品質の良い製品を投入できるかを競っていた。これからは、社会における人々の好みがどう変化して、何を良し、何を悪しとするかを、正確に予測する必要がある。机上の想像ではなくて、あるべき狙いを持っている人々の情報を糾合し、事実をベースに未来を語ることができれば、より明確な未来像が得られるのではないだろうか。今回の講演は非常に楽しみです。」
桑原会長の発言を受けて、日本未来学会理事、林光氏の基調講演「半世紀前の未来学ブームと未来学の今日的意義〜来るべき新世界へ、未来学の果たす役割〜」が行われた。最初に、以下に示すような、日本未来学会の「設立趣意書」が紹介された。
悠久の時の流れの中で、未来を考える生物として生き続けてきた人類は、自ら取り巻く自然を変え、環境を作ってきた。その結果を、われわれは文明と呼ぶ。われわれは、この偉大な文明の構築に、さらに積極的に、価値あるものを付加しなければならない。然るに、ひるがえって、現代文明の姿を直視すると、そこにいくつかの、重大な危険のはい胎があることに気づく。もとより、未来は、不確定である。望ましい可能性から、危険な可能性まで、不確定である未来を予見することの重要性を認識すると同時に、そのための学問的な準備が、まだほとんどなされていないことを看過するわけにはいかない。更に、その前に、何を基準に望ましい未来と考えるのか、危険な未来とするのか、それ(を明らかにすること)が、第一に問題である。
この(ような)新しい学問をつくりあげるために、日本未来学会は、1968年、未来予見のための学問的可能性の探求をめざし、学際性を重んじる学会として設立された。
(日本未来学会「設立趣意書」要約)
そして、未来学会の行動指針として、以下が紹介された。
1.従来のすべての学問的業績と遺産を継承し、
2.しかも、既成の観念にとらわれない創造的な思考と精神を発揚するため、
3.さまざまな学問、専門の分野が、それぞれの境界を越えて手をにぎり合い、
4.さらに、たえず幅の広い国際的な接触と交流につとめなければならない。
ちなみに、本学会の設立には、林雄二郎氏(元経済企画庁官僚)加藤秀俊氏(社会学者)小松左京氏(小説家)梅棹忠夫氏(生態学者)川添登氏(建築評論家)などの方々が尽力されている。ここでは、本学会理事の林氏から、設立の背景となった「半世紀前の未来学ブーム」と、設立時の諸経緯についての詳しい説明が行われた(注)。なお、基調講演をされた林光氏は、林雄二郎氏の長男で、長く博報堂に勤務し、生活総合研究所の所長などを務められた。2007年の独立を機に、本学会の理事に就任されたという。
ここまでが講演の前段にあたり、ここから「未来学の今日的意義」について、その紹介が行われた。
林氏は、ここで先ず、「未来に向かう 2つの時間」について言及した。(1)ひとつは、その時間の経過と共に、何かの価値を増やしてゆくような時間である。機械製品であれば、同じ価格でも機能が向上する。機能が同じであれば、安い価格で提供できる。つまり、何かの価値を増やしてゆくこと。これを言葉で言えば、「進化」「進歩」にあたる。この言葉は、典型的な、高度成長期のパラダイム(規範的な考え方)でもあった。
(2)もうひとつの言葉は、「変化」(ゆらぎ)。流行色や車のデザインが、その一例である。そして、美術品や骨董品のように、過去に価値があった品物を、現在、未来に、再びその価値を見出して、価値あるものとして存続させることも、これにあたる。バブルが崩壊し、世界経済が「進化」に関して自信を喪失している現在にふさわしいパラダイムは、むしろこちらではないのか、と氏は問いかける。
そして、続けて、「生活者が決める 3つの未来」が選択可能である、ということも、氏は指摘した。ありうる未来、あるべき未来、ありたい未来、の 3つが「選択可能な未来」であるという。
(1)ありうる未来では、新商品は必ず、新しい機能が追加されるか、同じ機能では安価になる。新しい車は、より速く、豪華になる。
(2)あるべき未来では、社会的な合意が行われて、ありうる未来の中から一つの未来が選択される。例えば、原子力発電所について、依存しない/依存し続ける社会のいずれかが選択される。しかし、(1)(2)は、どちらかと言えば、サプライサイドの考え方である。むしろ、時代は生活者の側から、
(3)ありたい未来を、どう選ぶかということが重要になってきたのだ。氏は、それを強調した。
ここで、氏は「質問をひとつ」と、聴衆に問いかけた。「皆さんは、年内に、どうしても買っておきたい、というものが何かありますか? 日本社会は、1980年代の前半までに、生活者が購入して住みたいと考える団地やマンションを作って供給してしまいました。日本社会は、家族全員が楽に乗れて荷物も積めるミニバンなどの車種を開発して、生活者は既にそれらを購入してしまいました。80年代の後半からは、機械製品についての新機能は、そんな機能だったら、いらない、と言われることが多くなり、広告業界でも、何が売れるか全く分からない、市場が見えない、と言われる時代になっています。皆さん、欲しいと思ったモノは既に買ってしまって、家にあるのです。違いますか。」
それから、何よりも、市場が見えない「変化」の時代が生じた大前提として、日本の生活者の「世帯のタイプ」が、90年代以降には、これまでの標準世帯(夫婦+子供2人)が中心だった姿から大きく変わってしまっていることを、氏は指摘した。日本の総人口は、2004年の1億2800万人をピークにして減少に転じたが、一方で「世帯数」については増加している。つまり、これまで、ほとんど目立たなかった「ひとり暮らし世帯」や「夫婦のみ世帯」「ひとり親+ひとり子の世帯」といった標準世帯以外の世帯の姿が、顕著に増加してきているのだという。
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図a「世帯タイプ別の世帯数推移」博報堂生活総合研究所) |
こうした中で、新しい時代を捉える見方が 3つあることを、氏は指摘した。
(1)ひとつは、現在の社会の政治基盤、社会基盤、生活基盤のいずれを見ても、既に成長の時代では無い、ということ。むしろ、平坦な時代で、その平坦の中に価値を置き換えて行く。つまり、自分たちの持っているものを、より自分たちの価値に合ったものに買い換えて行きながら、しかしながら生活は拡大させない。トータルで言えば平坦な社会。成長がなくても成り立つ社会になってきたということ。
(2)そして、コミュニケーションの方法が、がらりと変わったこと。携帯、インターネットのアドレス。これまでは、組織を通じて、間接的にしかつながっていなかった人と人が、直接つながった。正に、林雄二郎氏が1969年に、著書「情報化社会」(講談社現代新書)の中で描いた大変化が起きたのである。ところが、大手三大業界(芸能界、政治世界、マスメディア)が、そのことに全く気が付かない。従来の価値観のままで、仕事ができると思い込んでいる。
(3)そして、「断続化」。林氏は、40年間博報堂で、日本国民のライフスタイルを研究して来たが、日本人の嗜好は融通無碍。例えば、フランスや英国の中産階級(ブルジョワジー)が持つような、確固たる衣食住に関する規範的な嗜好を有していないという。そうした、顕著なライフスタイルを持たない日本で、上に述べたような「日本の新旧世帯の交代」(上記「世帯のタイプ別の規模推移」に見られるような世帯の姿の変化)が、社会的な大きなうねりとして、今、生じている。その「うねり」の中では、サプライサイドを中心とした「ありうる未来」や「あるべき未来」は、生活者の立場からは歓迎されない。いらないものまで作ってしまうためである。むしろ、既存のものに手を入れながら使って行く「ありたい未来」が、生活者が必要であると感じたその都度、生活者によって選ばれて、これが未来になって行くのだと、氏は発言を締めくくった。先の説明を繰り返すが、自分たちが既に持っているものを、より自分たちの価値に合ったものに買い換えて行きながら、しかしながら生活は拡大させない。トータルで言えば平坦な社会。成長しなくても成り立つ社会が、ありたい未来として、今、選択されつつあるというのである。
生活者の立場に立って、3つの未来をどのように収束させてゆくかが課題だと述べて、林氏は基調講演を終えた。
続いて古田隆彦氏の講演が行われたのだが、ここでは、最後の和田雄志氏の講演「超高齢化社会の近未来シナリオ〜大規模団地再生から日本の未来が見える〜」(各論その2)を先にご紹介したい。そのテーマが、林氏の基調講演を展開する内容だったためである。
さて、時代は1960年代の、日本の高度成長期。大多数の庶民が、木造賃貸アパートに生活していた最中に、拡大する住宅需要に応えて、日本住宅公団が「大型賃貸団地」を大規模に開発して国民に供給し始めた。団地の間取りのモデルになったのは、ワシントンハイツ(代々木)やグラントハイツ(練馬区光が丘)などの進駐軍住宅(米軍将校の扶養家族用住居)であった。ダイニングキッチン、米国風の家具、電化製品、シリンダー錠や、個室によるプライバシーの確保が日本で普及し始めたのは、大型賃貸団地の建設においてそれらが採用されたことからであったという。団地の敷地内には、ショッピングセンターや集会場も作られた。都市で不足する住宅の供給を、従来の大工による木造住宅という工法ではなくて、(人の住むことを前提としていなかった)オフィスビルの建築工法で、効率的に住宅を作って乗り切ろうとしたのが、当時の考え方であったそうだ。ただし、その団地の家賃は、大卒初任給の半分以上に相当し、庶民には高嶺の花だったと述べて、和田氏はその講演を始めた。
ところで、例えば、「高島平団地」(板橋区)では、現在は、建物・設備が老朽化し、高齢化率が40%を越えているという。ここは、1972年から入居が開始された団地である。仮に、今のままで、更に10年の間、この団地が「放置」しておかれたとすると、高齢者の引きこもりや孤独死、空き室の増加によるスラム化、少子化による活気の低迷によって、団地の資産価値は更に低下し、空き室が次々に増えてゆくといった悪循環が生じ、まさに、現在の日本が抱える問題の縮図のような悪夢が予想されるそうだ。先の基調講演の林氏も、「ひとり暮らし世帯」や「夫婦のみ世帯」の顕著な増加を指摘していた。団地における老人の孤独死は、もはや日常の出来事である。こんな状況で、果たして「大規模団地の再生に処方箋は、あるのか?」 こう、和田氏は聴衆に問いかけた。
ところが、その処方箋が、存在するというのだ。団地のマイナス要因の、ちょうど手袋を裏返したような特徴が、すべて団地の「プラス要因」なのである。曰く、
(1)団地内の敷地が、ゆったりとしている。
(2)公園や(熟成した)緑が多い
(3)入居者層が高齢にシフトし、(高島平では、全体の半数 8千人という)固まった消費者層が存在する。
(4)利用できる空き店舗・施設がある。
(5)団地のレトロ感を好む若い世代も登場している。
(6)(都心に直結しているなど)意外と交通の便が良い団地もある。
(7)家賃・価格は、さほど高くないので、若者でも入居できる。
そこで、団地再生・活性化のアプローチとして、氏は「多世代住宅」を提言した。すなわち、
団地の「高齢者住宅としての生活サポート&活躍の場」+団地の「若返り(世代交代の促進)作戦」=団地の「多世代住宅の実現」という方程式である。それを含めて、これまでに実施された、いくつかの団地活性化の実例を氏は紹介された。
(1)「サービス付き高齢者向け住宅」:賃貸住宅の空室を一括して事業者にサブリースすることで、団地を「サービス付き高齢者向け住宅」に変える試みが行われている。施設には、デイサービスセンターなども設置され、居住者への定期巡回も行われるという。高島平団地では、国土交通省の支援で、運営事業者の募集が 2013年7月から始められている。
(2)「団地の空き店舗を活用して、違いが分かる大人向けショッピングモールを作る」:大学発ベンチャー企業が企画して、資生堂、ニチレイフーズ、ライオン、味の素、ユニ・チャーム等の企業が協力し、高島平団地で 2011年末にプレ・イベントが実施された。
(3)「よろずや余之助」:群馬県太田市のフォーク喫茶が、地域の困りごとを何でも相談できる施設として運営され、NPO法人化して「人材バンク」の機能を持つようになっている。高校の同窓生ネットワークの中核施設(たまり場)になっていたことから、地域の住民がここを訪れれば、医師・弁護士・エクステリア施工業者・学習塾・PCインストラクター・銀行員・飲食店経営者などを紹介して貰える。
(4)「大山団地モデル」:立川市の都営賃貸住宅「大山団地」では老朽化した平屋建てアパートを取り壊して、中・高層の建築に建て替えたところ、若者の入居が増えた。そこで、自治会では、20代を含めた全世代から役員を選出して運営を行っている。ここでは、従来はアウトソーシングしていた管理・清掃事業を大山団地の自治会自らが請け負って、「団地が稼ぐ」形の事業運営が行われている。「団地葬」も、格安にとり行えるのだという。
(5)NPO法人「シニアSOHO普及サロン・三鷹」:この施設では、もともとパソコンの素人が素人に教える形態の有料PC教室が運営されており、大変に好評だった。その運営には、能力開発工学センター(JADEC)の職業教育のメソッドが活用されたという。現在は、IT講習会や講師の育成、自治体のアウトソーシング事業(例えば、図書館運営の請負など)の窓口として機能している。2004年に、情報化促進貢献団体として、経済産業大臣表彰を受けている。
(6)「団地工房」の可能性:自前の工場を持たず、研究と試作開発のみを行う企業としての「市民工房」が、世界的な潮流として立ち上がっている。例えば、団地の一室を工房にして、3Dプリンタやカッティングマシンなどのデジタル工作機器を備えれば、その工房から画期的な新商品が誕生することも考えられる。現在、「Fablab(ファブラボ)Japan」という名称の組織が、筑波、鎌倉、渋谷で、市民工房のモデル的な活動を始めている。
(7)「レトロ・モダンな団地の良さ」を若者たちに訴えている不動産サイトがある:「東京R不動産」は、40代の建築家やデザイナーが集まって運営しているネット上の不動産紹介サイトで、毎月350万以上のアクセス数がある。このサイトでは、不動産情報として、若者に団地のレトロな魅力をアピールしている。団地は賃料も比較的安いことから、こうした活動が、団地への若者の居住を促している。
(8)「多摩平団地シェアハウス」:1958年に竣工した多摩平団地(日野市)では、2011年の団地の改築(高層化)を機に、リノベーションと名づけた団地再生の取り組みを行った。例えば、若者向けの「シェアハウス」として、142室が格安に提供されている。ここでは入居の条件として、先住者との交流が勧められており、世代間交流が無理なく進められている。
このほか、団地の耐震化工事に伴って、ソーラーパネルなどを設備し、団地を地域防災の拠点とすること。また、団地内菜園を認めて、近隣農家との連携を図り、団地野菜の地産地消を試みるといった展開も今後は考えられるだろう、と和田氏は述べた。
最後に和田氏は、大変に重要な図表を聴衆に示した。「実は、少子化の影響で、若者の支えるべき高齢者の人数が増加していると騒がれているのですが、その高齢者と呼ばれる人たちのの大半は、『そこそこ元気な普通の高齢者』に他ならないのです。この人たちが、まったく注目されていない。確かに、2012年には、65歳以上の人口が3000万人を突破しました。この層が、人口の逆ピラミッドの原因です。しかし、そのうちでも、要介護の高齢者は、わずか16%(470万人)に過ぎず、そこそこ元気な普通の老人は、その 5倍。全体の84%も、います。介護保険やデイケアサービスが行われる過程で、ケアのニーズや必要なサービスが顕在化しているのは、こちらの16%の高齢者についてだけですから、その 5倍の数の人たちが、まったく注目されていないのです。」和田氏は、日本の超高齢社会化が世界に先駆けていることや、今後、東アジアなどでも、これが大きな社会問題になると予想されることを指摘しながらも、こうした事実があることを強調して、氏の講演を終えた。
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(図b「そこそこ元気な普通の高齢者」) |
さて、3番目の講演として、古田隆彦氏による「各論その1、人口波動で未来を読む」についてご紹介をするのだが、ここで編集者としては、少々困ってしまっていることを告白する。今回の講演で、古田氏は「未来学の特色が色濃く出るテーマ」として、世界と日本の人口波動、そして日本の人口の将来予測を講演のテーマとして選ばれた。そのため、氏が講演された「22世紀の日本列島に、2億人以上の人口が住むという可能性」についてだけに、会場での質疑が集中してしまったのだ。それは、次のような日本の将来像である。「今後の日本の人口減少については、2086年には約6700万人にまで下がると予測されるが、そこで人口は底を打って増加に転じるだろう。もし、人口容量(後述する)が従来のままであれば、人口が増加を続けたとしても、そのマックスは2004年と同じ1億2800万人程度に戻るだけだ。しかし、日本列島の人口容量が革新されて、現在の工業文明が長期蓄積エネルギーの育成に成功すれば、22世紀の日本列島に、2億6-7000万人が居住している可能性がある。」「そして、今から 2086年頃までの間の、日本の人口が減少を続ける期間についても、人口の減少は経済の停滞を直接には意味しないので、国内総生産GDPが減少しなければ、人口の分母が減って、国民一人当たりの所得は増えることになる。」 (講演の文章化と文責:ニュースレター編集室、武田博直)   
この論点の後半について、若干補足しておきたい。日本と同様に少子化(正しくは「少産・多死化」)で人口が減少に向かった先進国社会は多いのだが、経済がゼロ成長でも、人口という分母が減ることで一人当たりの国民所得は増える。これは、北欧などで実際に生じていることだ。つまり、「GDPが伸びなくても個人所得は伸び」得るし「消費人口が減っても消費市場は拡大する」場合があるのである(古田隆彦著「日本人はどこまで減るか」幻冬舎新書、2008年、p.17)。
ちなみに、古田氏の人口社会学の研究については、氏が10年以上前に別の著書を上梓した当時から、論壇の話題にのぼっていた。氏の前掲著などには、その論証の過程が細かく記されている。従って、この会場での大変に短い質問時間に、込み入った議論が行われる必要は、あまり無かったようにも思われる。そこで、本稿では、このときの議論の論点を文末にご紹介するだけに留めたい。そのことよりも、古田氏が、今回の講演の中で、非常に簡潔にしか言及されなかった点にこそ、林氏や和田氏の議論に関連して、直近の日本の産業を活性化させる重要なヒントが含まれていたことに注意を促したい。
そこで、異例であり、まことに僭越ではあるが、このままでは、林氏、和田氏お二方の講演の紹介についても、尻切れトンボの印象を持たれかねないので、ここでは先ず、古田氏の著作から引用して、氏の発言を補足したい。更に、冒頭で桑原会長が「20世紀型の後追いの産業が行き詰ったので、産業界には新しい未来像が必要」と指摘された点に、横幹連合として答える意味で、林氏、和田氏、古田氏の講演内容に添った新規ビジネスの私案を述べてみたい。
<編集者による補論>
先ず、古田氏の近著から、論点のいくつかを列挙する。
(1)現在の日本では、人口の逆ピラミッド現象が大きな問題とされており、社会保障の減額や消費税の増額、更には、年金制度の崩壊がそれに関連して議論されている。しかし、あと30年もすると、団塊の世代は大方が鬼籍に入るので、人口の逆ピラミッドは自然に解消して、その問題自体が消滅している。問題は、この 30年を支える正しい経済政策である。
(2)いわゆる「少子化・高齢化」の議論の前提となっている数字は、1960年代に厚生労働省が WHOの定義を容れて、14歳以下と65歳以上を、それぞれ、年少者、高齢者と定めた定義に基づいている。しかし、当時の平均寿命は、女性でも70歳程度であった。また、戦時中の国家総動員法の下では 12歳未満が子供であり、1960年の国勢調査までは 65歳ではなくて 60歳以上が老年者であった。従って、このような定義は、各時代の平均寿命に応じて見直されるべきだということになる。(「日本人はどこまで減るか」p.20-38)
そこで、古田氏は、今の時代の寿命が 80歳であることをふまえて、24歳以下を「子ども」(被保護者)、25歳-74歳を「生産(可能)年齢人口」、75歳以上を新しく「高齢者」と呼び替えるべきことを、かなり以前から提言されていた。
(3)古田氏の新しい定義で計算すれば、子ども(被保護者)の数は、むしろ増加している。また、25-74歳の「生産年齢人口」も増えているのだから、いわゆる「社会保障を支える、若い人の負担」は、今よりも軽くなる。一人の老人を養う生産者の数は、2010年の 2.3人から、2030年には 3.2人になって、むしろ楽になるのだという。(前掲書、p.34)
ちなみに、少子化問題の正しい表現は、「少産・多死化」による人口の自然減少。高齢化問題は、65歳以上人口の増加と、正確に報じられるべきであるという。1995年頃から政府が「少子化・高齢化」を口にして、主に消費税を増税する理由として使い始めたのは「卑劣とも言うべき」誤用であるそうだ。
この古田氏の論証に関連して想起されるのが、先の講演で、和田氏が指摘されていた「65歳以上の日本の人口の84%は、そこそこ元気な普通の老人」であるという明快な事実である。それならば、65歳から74歳までの元気な普通の老人全員が、無理なく勤労者・納税者になるような付加価値の高い新しいビジネスを、「国を挙げて」見つけることができれば、国の税収も相当に改善されることだろう。また、年金の受給も、受給者が就労して厚生年金の被保険者になれば停止されるのだから、年金の財政も改善するはずだ。
2012年5月30日に、当時の日本銀行総裁白川方明氏は、生産年齢人口の減少が「将来起こる成長率の低下を先取りする形で、需要が減少し、物価が下落する一因となった」と述べていた。つまり、デフレの一因は、生産年齢人口の減少によるものだと日銀総裁が述べていたのだから、これは編集者の私見ではあるが、元気な普通の老人が生産年齢人口に組み込まれて、その数が一気に10数%ばかり増加すれば、デフレも解消するのではないだろうか。
それでは、どのような新しいビジネスが、考えられるのだろう。編集者は、本技術フォーラムに出席していなかったので、録音を文章に起こしながら、これについて考えてみた。そして、すぐに、次のような実施案を思い付くことができた。
(1)「老人介護用サポート機器の開発」:60歳になったのを機に、身内の介護のために離職する人は多い。ところで、団地の一室などの自宅の近くに「市民工房」があれば、エンジニアは「そこそこ元気な高齢者が、寝たきりの病人を介護するために役に立つ機器」を、自ら試作することができる。同じく離職した職場の仲間や、近隣の若者に手伝って貰っても良いだろう。老人介護用のサポート機器は、大学の研究室で開発されることが多く、学生が試着している姿をテレビで多く見るが、そもそも若者であれば、何も身に着けなくても楽に介護ができるのである。
(2)「コンソーシアム制人材バンク」:会社を辞めてゆく団塊の世代のノウハウは、若い人に継承させたい。しかし、先月までの技術部長で定年を迎えた元上司に、新入社員の教育をお願いするのも何だか頼みづらい。そうした時に、同じ業界でも市場が比較的競合しない数社がコンソーシアムを作り、その「人材バンク」が窓口を務めて人材を派遣する。企業の社外秘のノウハウについても、コンソーシアムであれば、限定された内容を公開して良いとする規約を作っておきさえすれば、A社の 65歳の元技術部長が、B社の新入社員にノウハウを伝授することが可能になる。
(3)「被介護者が24時間の監視をする有人監視カメラ」:実際に人間が、長時間モニターを監視し続けなくてはいけないという業務は、意外に多い。「サービス付き高齢者向け住宅」が団地内にある場合には、自治会の世話役は、「Aさんは、自宅介護で24時間寝たきりだが、10時から12時までは本を読んでいる」とか「Bさんは、深夜の12時から2時間は、必ず起きている」といった情報を、家族から集めることができる。そして、Aさん、Bさん本人に、ぜひとも仕事をしたいという意欲があれば、団地自治会がセキュリティ会社のアウトソーシングの窓口になることで、寝たきり老人がモニターの監視業務を行って、勤労者・納税者になることができる。監視業務が患者の肉体的な負担になっていないかどうかは、体調を自動でモニターできる装置が安価になれば、それを経費で購入することができるし、体調不良時についての代替要員の対応だけをすれば済む話である。しかも、このモニター装置は、眠らずに監視していたことの証拠にもなる。
繰り返すが、当日の質疑応答にこの話題が出ていれば、横幹連合の技術フォーラムには、理系文系の多くの逸材が参集しているのであるから、冒頭で桑原会長が指摘された「産業界の新しい未来像」についての議論が大いに盛り上がったのではないかと惜しまれる。大変に残念であった。
<編集者による補論、ここまで>
それでは、最後に、古田氏による「各論その1、人口波動で未来を読む〜人口減少要因への学際的アプローチ〜」の要点をご紹介したい。氏の人口社会学に関する研究は、労作であり、論証が緻密である。マルサス著「人口論」に書かれていた「人口の長期的推移は波をうっている」とするオシレーション(人口波動)の仮説を導きの糸として、人口学者、生態学者、経済学者らによる世界人口の推計値を幅広く参照し、5万年前から現在までの西暦時間(逆対数)を横軸に、推計された人口(正対数)を縦軸に、グラフにプロットしてみたところ、明瞭な波動を見つけることができたという。人口波動仮説が検証されたことになる。
古田氏は、世界人口の5つの波に名前を付け、それぞれの波についての気候の変化や、石器、農具・農法の改良、工業の発展や社会情勢の変化など、歴史学の知見を詳細に検討して、5つの波の存在の妥当性を解説された。この解説については、講演では簡単にしか触れられていなかったが、近著「日本人はどこまで減るか」などには詳しく述べられている。
ところで、日本の人口の推移についても、行基、日蓮、新井白石、勝海舟らによる記述を経て、今日の文化人類学者、歴史人類学者らの多くが、推計値についての研究を発表している。氏はこの推計値についても、西暦時間(逆対数)を横軸に、推計された人口(正対数)を縦軸に、グラフにプロットしてみたところ、日本の人口の推移にも波動を見出した。ちなみに、波動しているのだから、(現在の人口の減少傾向がそのままで数百年間も続いて)「日本人が900年後に絶滅している」という可能性は、とても低い。
日本の人口の 5つの波は、「石器前波」(紀元前3万〜1万年)「石器後波」(紀元前1万年〜500年)「農業前波」(紀元前500年〜西暦1300年)「農業後波」(1300年〜1800年)「工業前波」の5つとされている。「工業前波」は、1800年前後に始まり、現在を越えて、21世紀後半にかけての波動であると推測されるという。(前掲書、p.153)
(古田氏作成の「世界の人口波動」と「日本の人口波動」の作図は、こちらを参照。
それでは、現在の「少産・多死化」の日本社会が、21世紀の後半に再び人口増に転じるとして、その契機は何だろうか。牛乳ビンに閉じ込められたハエや、マメゾウムシなどについては、生活環境(食料余裕、環境汚染、接触密度)によってそれ以上の子育てが不可能になったときに、生得的な人口抑制の体内装置が働き、固体数が減少すると想定されている。しかし、人間の場合には文化的な人口抑制装置としての「結婚の抑制」や「避妊」「間引き」などが、洋の東西を問わず、広く確認できるという。どうやら、人間の場合には、親が自分の生活程度を維持したい、であるとか、世間体などの「文化的」な事情が、人口抑圧装置として働いているようだ、と氏は述べている。事実、団塊の世代は、戦時下の「産めよ増やせよ」の政策が世間体という人口抑圧装置を停止させた時に、父親が復員してきたことによって、社会環境としては終戦の、もの不足、食料不足という一番劣悪な環境下に、大量の子どもが生まれてきたという現象であった。現在の「少産」の傾向も、共働きの夫婦が増えて、子供を作ると親の生活程度が落ちる、親の世代が気楽に生活を続けたいとする「文化的」な事情による選択の結果であるようだ。そうであるとすれば、今後、親の世代の収入が増えて、子どもを持っても親の生活程度が落ちないくらいにまで給与や社会環境が改善すれば、子どもは増え始めるはずである。(前掲書、p.194)
ところで、日本経済がこれからもゼロ成長を維持できれば、将来の一人当たりの実質個人所得は増加する。人口の減少の推計値から予想すると、2035年(今の生産者たちの子供の時代)には、所得は1.16倍になると計算される。また、今後、いわゆる「高齢化問題」は、東アジア諸国でも大きな問題となるので、それを解決する画期的なシステムや商品を、世界の先陣をきって日本で開発することができれば、それが世界に売れて、日本の経済がプラス成長を取り戻す可能性もある。経済が成長すれば、個人所得は、さらに増加する。こうした考察から、(国立社会保障・人口問題研究所の低位値を採用した推計を行い、ゼロ成長の経済社会が続くと仮定した場合にではあるが)氏は日本の人口減少が、2035年頃には減少傾向を弱め、2087年頃から反転して増加に転じるのではないかと推測している。
ところで、氏は、この考察の過程で「人口容量」という概念を提唱している。それは、自然環境・社会環境・文化環境の中で、人間の個体数がどれだけの数生きられるかというキャパシティのことである。しかし、それはまた、能動的に、そこに生活する人間が作り出す人口促進技術(文明)と人口抑制技術(文化)がバランスされた数値でもあるという。例えば、現在の日本列島では、自給自足的に維持できる人口は7600万人であると言われている。しかし、日本は、明治以来の「文明開化、殖産興業、脱亜入欧」政策とその後の展開によって「加工貿易文明」を育み、これが人口促進技術となって日本の人口容量を拡大させてきた。具体的には、日本は加工品を海外に売って海外から食料を買うことで人口容量が上昇して、7600万人の倍近くの1億2800万人にまで人口を拡大させることができたのだ。(前掲書、p.89、p.149)
そして、日本の 6番目の人口波動「工業後波」(21世紀後半〜)における人口容量が、5番目の波動のマックス値、1億2800万人を越えるだろうとする予測の根拠については、氏は現在の日本の「加工貿易文明」が、パラダイムの変化を強いられているからであると言い切る。
加工貿易文明は、工業製品が高価で、食品が安価であった時代に、高い工業製品を海外に売って、安い食料品を海外から輸入するという経済モデルであった。ところが、人口の増加によって、今や工業製品が安価で、食料品のほうが高価な時代になってしまった。加工貿易文明は、新しいパラダイムに変わらざるを得ないであろう。そう、氏は指摘した。
これを別の表現で、「日本人はどこまで減るか」の最後(p.240)に、氏は次のように書いておられる。
2087年頃に始まると予想される「工業後波」の時代には、社会は、これまでの粗放科学技術、粗放市場経済、無制約国際化から、集約科学技術、集約市場経済、集約国際化(いずれも氏の命名)へと転化して行くだろう。これらの社会変化を「集約工業文明」の完成と名づける時、こうした集約工業文明を、日本人の手で21世紀の後半までに生み出すことができれば、21世紀の日本の人口容量は再び拡大し、総人口も1億2800万人の壁をやすやすと乗り越えて行くだろう。
勿論、そのインパクトは日本に留まるものではない。日本が新たな文明の可能性を見つけだすことができれば、それは同時に、世界の人口容量を拡大させることも意味している。こうした意味でも、「工業前波」の最先端を走ってきた国、日本は、21世紀の最先進国として、まっさきに次の波動を作り出すべき役割を担っているのである。(要約)
これまでの説明で分かるように、氏が発言された「22世紀の日本列島に、2億人以上の人口が住む可能性」というのは、日本が乗り越えなくてはいけない新しい文明のパラダイム変化という、とても大きな課題のごく一部なので、解説にはかなりの時間を要するものであった。私見ではあるが、質疑応答の短い時間に論じるには、規模の大きすぎる論点だったと言えよう。
古田氏は質問への回答として、次のように指摘した。「日本の人口波動の 4番目の波は、1730年前後(6代将軍吉宗の時代)に約3250万人の最大値に達しました。ところで、仮に、江戸時代の日本人に対して、日本列島には 1億人を越える人間が住める可能性があるのだと言って、信じて貰えたでしょうか。否です。明治以降の加工貿易文明によって、日本の人口容量が数千万人増えるということは、江戸時代の人々には想像ができないからです。それと同様に、現在の加工貿易文明の次の未来文明の姿についても、加工貿易文明の中にいる、われわれには、具体的な想像ができないのです。」その通りであろう。
しかし、想像できない未来を、さまざまな技法によって見えるものにして行くこと。それこそが、未来学の醍醐味である。「悠久の時の流れの中で、未来を考える生物として生き続けてきた人類は、自ら取り巻く自然を変え、環境を作ってきた。その結果を、われわれは文明と呼ぶ。われわれは、この偉大な文明の構築に、さらに積極的に、価値あるものを付加しなければならない。」(日本未来学会「設立趣意書」より)
「パラダイムが大きく変化している時代に、次に来るパラダイムを力強く描き出すこと。それが人類の役割であり、生きる証なんです。疲れる作業だろうと思いますが、頑張って下さい。」今回の三人の講師の大変に貴重な講演をまとめながら、編集者は、日本未来学会を立ち上げて鬼籍に入られた先人たち、梅棹氏、小松氏、林氏が、この暑いお盆に日本に戻って来られて、笑いながら、そんな風に話されているところを想像していた。
講演の最後に、平井成興産学連携委員会委員長(当時)から閉会のあいさつが行われた。今回のような、「産」の側が、関心を持った学会に直接、技術フォーラムの企画立案をお願いするというやり方は、今後も前向きに取り組んで行きたいという内容であった。これをもって、大変盛況裏に、今回の技術フォーラムは終了した。
(注)1964年の東京オリンピックの成功は、日本の復興を世界に示した。新幹線は、それまで 8時間かかっていた東京大阪間の時間距離を 4時間に短縮した。しかし実は、日本の高度経済成長は、60年代の末に終わりを迎えようとしていたのだ。
その頃、加藤秀俊氏と小松左京氏が「日本未来学研究会」を私的に作っていた。林雄二郎氏は当時、経済企画庁の官僚で、フランスの長期経済計画を参考に、65年に「林リポート」をまとめ、経済企画庁の下河辺淳氏らと共に「1985年の日本人のライフスタイルを検討する会議」を立ち上げて各所に大きな影響を与えようとしていた。「林リポート」では、20年後の人口構成、食生活、勤労生活、住生活、モータリゼーション、国際環境の変化などが論じられている。加藤氏と小松氏は、ばら色の未来を強調する傾向のある官僚の未来予測を「とっちめる」つもりで、林氏を呼び出したところ、林氏の「官僚はどうしようもない」発言を聞いて驚き、大いに意気投合したという。
その後、67年にオスロで、国際未来学会(本部は英国)の第1回会議が開催された。ここに、加藤氏と林氏が(私人として)参加したところ、極東から Futurologist が来ている、と壇上に上げられて、70年の第2回会議の日本での開催を決められてしまったという。これが、その後の国際未来学会で、繰り返し「今回の会議は、あの 1970年に京都で行われた第2回の大成功には及びべくもないが」と枕詞のように語られることになる第2回会議の端緒となり、衆議院議員中川一郎氏らの尽力で、国立京都国際会館(京都国際会議場)に、国内200人、世界から100人が参加して大盛況の内に実施された。その国際学会の受け皿となる学会として、日本未来学会が68年に設立されたのである。また、69年には、林雄二郎氏の著書「情報化社会」(講談社現代新書)が10万部を越えるベストセラーになっている。戦後史の上では、未来学のブームと日本未来学会の設立は、日本が高度経済成長に代わる新しいパラダイムを模索しようとしていた、正にその時期に起きた出来事であったということが指摘できるだろう。
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