横幹連合ニュースレター
No.024 Jan 2011
<<目次>>
■巻頭メッセージ■
モノつくり、コトつくり、
そしてヒトつくり
本多 敏
横幹連合理事
慶應義塾大学 教授
■活動紹介■
●第28回横幹技術フォーラム
■参加学会の横顔■
●日本応用数理学会
■イベント紹介■
●第29回横幹技術フォーラム
●これまでのイベント開催記録
■ご意見・ご感想■
ニュースレター編集室
E-mail:
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横幹連合ニュースレター
No.024 Jan 2011
◆参加学会の横顔
毎回、横幹連合に加盟する学会をご紹介していくコーナーです。
今回は、日本応用数理学会をご紹介します。
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日本応用数理学会
ホームページ: http://www.jsiam.org/
会長 薩摩順吉 氏
(青山学院大学 教授)
【あすの科学技術を育てる応用数理】
日本応用数理学会は、数理的な考え方、技術を駆使しておられる研究者・技術者、またそのような思考、方法そのものの研究や、教育に携わっておられる方々の学術的交流の場として、1990年に設立されました。
わが国の近年の工業技術の発展は目ざましく、特に多くの先端技術の分野において他国の追随を許さぬものがあります。小型コンピュータを始めとする各種情報処理機器は、社会の、そして産業の隅々にまで行きわたって、高度な知的作業を人間に代わって受け持つようになってきています。しかし、残念ながら、わが国ではそれらの根底をなすソフトウェアを欧米に大きく依存しているのが現状です。この、ソフトウェア技術の基礎となる最も重要なものは、道具としての数学であり、またそれを使いこなす数理的技術でありましょう。現代の研究者・技術者にとって、数理的思考、数理的方法が不可欠であることは、事実が証明しています。
さらに、異なる分野で独自に考案され採用されている方法が、実はいろいろな分野に共通する要素を潜在的に含んでいる場合も、きわめて多いに違いありません。もしも、そのような方法を発掘して相互に交換し、活用することができるならば、技術全体に寄与するところが絶大であります。その際、異なる分野間であればあるほど、数学あるいは数理が、技術交換を行うためのほとんど唯一の共通言語となります。
技術面における問題解決の、一般のプロセスにおきましても、始めから個々の問題を個別に解決するよりも、まずは抽象的に、すなわち数理的に考察を行って、一般的方法ないし手順を確立し、しかる後、個別の問題にその結果を適用する方が、はるかに効率的です。産業界においても、数理的思考、数理的方法が果たす、きわめて大きな役割が次第に認識されるようになってまいりました。また、わが国の数学界でも、これまでは数学の純粋性を尊重することを伝統としてきましたが、最近は数学の応用面の重要性にも眼を向けるべきであると考える数学者が、急速に増えつつあります。
よく知られていますように、欧米各国では既に、工業数学と応用数学(industrial and applied mathematics)のための学会が、活発に活動を続けております。1987年7月には、パリ郊外の研究学術都市において「第1回工業数学・応用数学国際会議 ICIAM'87」(「イキアム」と発音)が、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ 4ヵ国の工業数学・応用数学の団体(詳しい団体名称は後述)の共催で行われ、49ヵ国から、約1800名の研究者・技術者が参加しました。そして、広く応用数学あるいは数理工学が関係する分野、すなわち、応用解析、科学計算、制御と信号処理、離散数学、応用確率論と統計、物理学・化学・生物学における数学、ソフトウェアとハードウェアにおける数理、OR(オペレーションズ・リサーチ)、管理工学などを中心として、研究発表や討論が行われ、多大の成果を上げました。しかし、先進工業国であるはずのわが国からは、14名が個人ベースで参加したのみでした。
また、最近の研究、産業、教育における数理的イノベーションに応えるために、わが国にも応用数学あるいは数理工学のための学会設立の必要性が痛感されていたことから、以上のような背景のもとに、日本応用数理学会(Japan Society for Industrial and Applied Mathematics、略称 Japan SIAM)が、発足いたしました。
日本応用数理学会は、既存の全ての学問・技術の分野に横断的にまたがる、いわゆる「横型」の学会であることに大きな特徴があります。縦型の学会に所属して活躍しておられる方々も、ぜひ、第2の学会として日本応用数理学会に参加し、数理を通じての異分野間交流によってわが国の学術発展に貢献してくださることを期待します。ご自身の専門がすでに数理的な横型の学問、横型の技術に属する方々にとっては、日本応用数理学会こそが、第1の学会です。この学会に積極的に参加されることによって、直接、数理を通じて、わが国の学術発展に大きく寄与されることを期待しています。(以上は同学会の「設立趣意書」から要約しました。)
本学会につきまして、会長の薩摩順吉先生にお話を伺いました。
Q1:薩摩会長は、本学会を非会員にご紹介されますとき、どんな風に説明をしておられますか。
薩摩会長 日本応用数理学会は、数理現象を研究する人(数学者、科学者)、応用する人(工学者、技術者)、解析手法を開発する人(計算機科学者、実験科学者)や、その教育に携わっておられる方々が集まった横断的な学会です。
最近の科学と技術の急速な発展の中で、多くのものが数学と他の分野との交流によって生まれています。たとえば、かつては数学理論としての研究対象であった非線形偏微分方程式や確率過程などは、その解の性質が知られてくる中で、画像処理の有力な道具として利用されています。また、代数幾何の先端的な理論が、暗号・符号技術に不可欠のものとなってきています。歴史的な流れを見れば、数学と物理は、さまざまの分野で互いに影響しながら発展してきました。そして、計算機の性能が大幅に向上し、より精度の高い効率の良い手法が開発されたことで、大規模計算による数値実験も、現実的な問題に強力な武器を与えるようになりました。
そうしたことから、応用数学のための学会を作りたいとする願いは、じつは大勢の方が持っておられました。1986年秋に、日本数学会の年会が行われた際に、数名の先生方によって科学技術計算のための英文論文誌を刊行しようという意見の交換が行われたのですが、それが、現在の英文論文誌に相当する「Japan Journal of Industrial and Applied Mathematics」(JJIAM)のスタートとなり、また本学会誕生の、いわば芽になりました。(注1)
さて、フランスの J.L.Lions教授は、解析学から出発して、流体力学、制御理論、最適化法などで業績を重ね、国立自動制御応用数学研究所長を経て、後に宇宙局長官をされた方ですが、フランスの応用数理学会 SMAIを創立して、1987年に国際応用数理学会の設立を呼びかけました。このとき開かれたのが「第1回工業数学・応用数学国際会議 ICIAM'87」(注2)で、49ヵ国から約1800名の研究者・技術者が参加したのですが、先進工業国のわが国からは、14名が個人ベースで参加したのみでした。このときに日本学術会議からの派遣で参加された山口昌哉教授(京都大学)が、わが国にも工業数学・応用数学の学会の設立の必要を痛感され、1987年日本数学会年会の科学研究費応用数学総合研究班の分担者会議で呼びかけを行いました。そして、(上記の)英文論文誌の刊行を検討しておられた先生方がそれに応えて、同年12月の、科学研究費応用数学総合研究班による「応用数学合同シンポジウム」でのパネル討論会や、翌年の公開フォーラム FIAM'88(注3)の開催につながります。そうした機会を通して、大学・研究機関・企業からの本学会設立の要望の声は、ますます強くなり、こうして本学会は、1990年に近藤次郎先生(東京大学名誉教授)を初代学会長として設立されたのです(注4)。
現在の会員数は、1600名強で、全体の約8割を大学等の教育研究機関に所属する研究者が占めている、日本を代表する応用数学の学会です(注5)。また、既存の全ての学問・技術の分野に横断的にまたがる、いわゆる「横型」の学会でありますので、応用数理に関連する他学会の会員は入会金を免除されています。
本学会の行っている活動を列挙しますと、
・ 学会誌「応用数理」および和文論文誌「日本応用数理学会論文誌」の発行による研究開発の発表ならびに新しい情報の提供、
・ 各種 17にのぼる研究部会(注6)による研究、産業、教育界への貢献を目指した活発な活動、
・ 英文論文誌 JJIAMの発行や国際会議への参画を通した国際交流、
・ 論文賞などによる優れた研究ならびに技術の顕彰、
・ 講演会、講習会、シンポジウムなどによる社会人、学生の育成、その他、研究者養成、研究成果普及を目指した諸活動、
などです。
(注1)現在、日本応用数理学会の英文論文誌に相当するのは「Japan Journal of Industrial and Applied Mathematics」(JJIAM)である。同学会より、その歴史は長い。故占部実教授が最初の Chairmanとなって発行された数値解析を中心とする唯一の英文誌「Memoires of Numericai Mathematics」(1974-1983年)を継承して、「Japan Journal of Applied Mathematics」(JJAM)が1984年から刊行されていた。さて、1986年秋の日本数学会の年会で、河原田秀夫教授(千葉大学)藤井宏教授(京都産業大学)三村昌泰教授(広島大学)森正武教授(筑波大学)が最初の会合を持ち、山本哲朗教授(愛媛大学)を加えて、応用数学に関する英文誌刊行の構想が詰められていた。そこで、同学会の設立を機に(形式的には)JJAM刊行会の編集委員会に Japan SIAMから森正武先生と牛島照夫先生(電気通信大学)が入り、歓迎する論文の種類として excellent case studyを加えることで、1993年のVol.10から JJIAMに改称されて今日に至っている。そして、英文論文誌の刊行を検討しておられた先生方が、パネル討論会や公開フォーラムの開催に尽力されたことが、同学会の設立に結実した。以上は、「応用数理」創刊準備第1号、1990年、掲載の森正武「日本応用数理学会の誕生まで」からの要約。なお。注4もご参照下さい。(注釈文責は編集室。以下の注釈も同じ。)
(注2)「第1回工業数学・応用数学国際会議 ICIAM'87」(「イキアム」と発音)は、SIAM(米国)IMA(英国)SMAI(フランス)GAMM(ドイツ)の4カ国の応用数学の学会が共催して行われた。現在 ICIAMは、この4カ国に、SIMAI(イタリア)と、JSIAM(日本応用数理学会)を加えて共催されている。各国学会の正式名称は、それぞれ、SIAM(Society for Industrial and Applied Mathematics)IMA(Institute of Mathematics and its Applications)SMAI(Societe de Mathematiques Appliquees et Indestrielles)GAMM(Gesellschaft fur Angewandte Mathematik und Mechanik)SIMAI(Societa Italiana per la Matematica Applicata e Industriale)。
(注3)FIAM'88(Forum on Industrial and Appjied Mathematics 1988)の組織委員は、山口昌哉教授(京都大学)藤田宏教授(東京大学)一松信教授(京都大学)伊理正夫教授(東京大学)広瀬健教授(早稲田大学)。FIAM'88は、200名を越える参加者を得て、盛会であった。
(注4)学会誕生までの経緯は、森正武先生が学会誌「応用数理」の創刊準備第1号(1990年)に「日本応用数理学会の誕生まで」と題して、詳しく紹介しておられる。
(注5)学会の構成は、現在約8割が数学者・科学者。企業に属する会員は、約300名。学生会員は、約100名。
(注6)研究部会は現在17にのぼり、学会誌の特集号や、年会におけるオーガナイズドセッションなどで大変積極的に活動している。順不同で、ウェーブレット、応用カオス、応用可積分系、折紙工学、科学技術計算と数値解析、行列・固有値問題の解法とその応用、計算の品質、数理医学、数理政治学、数理設計、数理的技法による情報セキュリティ、数理ファイナンス、数論アルゴリズムとその応用、連続体力学の数理(旧称: 特異性をもつ連続体力学)、メッシュ生成・CAE(旧称: メッシュ生成)、離散システム、環瀬戸内応用数理(地域研究部会)の研究部会がある。また、研究部会に準じた扱いをうける「若手の会」がある。
Q2: 薩摩会長のご研究の概要を、ご説明下さい。また、会長はどんなきっかけで、この学会に入会されたのでしょうか。
薩摩会長 まず、本学会との接点ですが、わたしが東京大学で工学部の助教授になったときに、研究室が森正武先生(後に筑波大学名誉教授、京都大学名誉教授)の近くでした。それで、森先生たちが中心になってやっておられた新しい学会の設立に向けての会合に参加して、お手伝いをしました。そしてその後、設立準備小委員会の一員に加えさせていただのが、本学会との接点です。
わたしは、京都大学工学部の数理工学科を大学紛争のさ中に卒業して、修士課程に進みました。卒業論文は流体力学分野で、タイトルは「定常圧縮性2次元層流境界層方程式の数値解について」(注7)。そもそもから応用数学一筋に、研究を進めてきたことになります。もっとも、当時は大学紛争のまっただ中で大学院の講義は、あまりありませんでした。今思えば、その時に授業を「受けなかった」人たちが、現在は、研究・教育分野で夫々非常に活躍をされていますので、大学における教育のあり方について考えさせられる良い機会でもあったのですが、そんなことを考える余裕は、当時にはありません。博士課程D3までの論文数がゼロでしたので、(結婚して子供もおりましたが)オーバードクターで30歳近くまで、就職できないでおりました。
わたしが論文を書けないでいることを非常に心配して下さったのが矢嶋信男先生(注8)で、矢嶋先生、及川正行さんと3人で書いた論文をきっかけに自分の仕事ができるようになり、論文も8本ほど書いたころに、京大工学部の助手になりました。矢嶋先生と一緒に論文を書いてスタートできたことが、自分の研究に一番大きく影響を与えています。これも矢嶋先生にご指導いただいた論文の、非線形シュレーディンガー方程式の初期値問題に関するものが、その8年後に米国ベル研究所の光ファイバー中のソリトン伝搬(注9)の実験で確認されたことによって、国際的にも注目されるのですが、それはしばらく後の話になります。
さて、京大工学部の助手になって6年後の、1981年に、わたしは宮崎医科大学に助教授として赴任しました。ここでは、ある大学院生の研究論文のお手伝いをしたことがあります。血液凝固モデルの数値計算が主な内容ですが、数理モデルで考察することの大切さの一つは、現象の将来が見えやすくなる(予測が可能になる)ことです。応用数理の可能性を示したものでもある、といえましょう。
その後、比較的新しい非線形数理の研究をしていたことから、東大工学部の「力学教室」の流れを汲む講座の助教授に呼ばれました。このとき、森正武先生の学会設立へのお手伝いをしたことは、先に述べた通りです。本学会の学会誌・和文論文誌の編集を担当するとともに、第1回年会開催(注10)のお手伝いなどに参加しました。そして、1992年に大学院数理科学研究科が創設されたとき、そこの教授になりました。
現在の研究分野は、離散および超離散系(注11)を研究しています。ここで、研究に影響があった一つのエピソードを述べさせていただきます。数学の定理は、ある意味「臆病」なところがあって、要するに「条件がどこまで必要か」を考えて進化してきたのですが、佐藤幹夫先生との出会い(1980年頃の京大数理解析研究所でのセミナー)では、強烈に「数学とは何か」を教えていただきました。それは、京大助手時代の米国留学の直後で、わたしの研究してきた非線形微積分方程式についての解が面白いと思ってあるセミナーで話しをしたところ、そのときの質問が「その条件」に集中したので意気消沈をした、ということを佐藤先生のセミナーでお話ししたのです。すると佐藤先生は、「そんな条件などどうでもいい・・・。」続いて「それでどんな解が出てくるのか。それが面白かったら、条件なんていくらでも拡張すればいい」と仰ったのです。目から鱗でした。佐藤先生は、正にそのようなご研究の姿勢から、ソリトン方程式に対する一般解(佐藤理論)を展開されました。日本最大の数学者だと思います。佐藤先生は驚異的な量の計算をする人ですが、学生の皆さんにも、先生のように手を動かすこと、とにかく手を動かして計算しないと、数理系の学問では何も見えてこないことに気がついて欲しいと思います。また、日本人ですべてを見渡せる最後の物理学者、戸田盛和先生(自然界の複雑な動きを解き明かす非線形物理の「戸田格子」が有名です)との出会いでは、自分の育ってきた環境や研究に対する感覚が悪いものではなかったことを確認できました。また、教育とはなにか、ということや、分かりやすい本を書くことも研究者としては重要であることを、戸田先生から学びました。アメリカ数学会(AMS)の「論文の書き方」などには、数学の論文には感想を書いてはいけないと書かれていますが、教育的な本では、やはり主張が入らないといけないと、わたしは思っています。
(注7)卒業論文の指導教官は、山田彦児先生。
(注8)矢嶋信男氏は、大阪大学で伏見康治教授の下に学び、京都大学に上田顕先生が教授のときの助教授として赴任された。後に、九州大学応用力学研究所所長。
(注9)「ソリトン伝搬」:A)局在した波がその性質を変えずに伝播する、そして、B)それらの局在波は互いの衝突に対して安定であるとき、このような「粒子的な性質を兼ね備えた安定な孤立波」をソリトンと言い、長距離を形が崩れずに伝搬する性質を持つ。最も有名なソリトンの画像は、葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景、神奈川沖浪裏」である。水面の波が、ソリトン化して伝搬している様子が描かれている。なお、崩れている波はフラクタル図形である。つまり、この絵には、現代の代表的な数理概念である、カオス(現象)、フラクタル(図形)、ソリトン(伝搬)がすべて含まれている。
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葛飾北斎による浮世絵版画、富嶽三十六景の中の一枚「神奈川沖浪裏」 (http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg より) |
solitary wave(孤立波)を「soliton」と略したこの用語は、1965年に Zabusky-Kruskalの論文で初めて使われたものである。彼らは、ある条件下で孤立した波動(ソリトン)が、上記 A) B) の性質を持つことを発見した。その後、1973年に、ベル研究所の HasegawaとTappertは、光ファイバの中でもソリトンを作り出せることを提案した。光ファイバの群速度分散と自己位相変調効果とを釣り合わせることによって、光ファイバの中で(レーザー光などを使用して)特殊な光パルスを発生させることができる。これが光ソリトンである。光ソリトンは、光損失が最小となる波長が使用でき、狭いパルス幅で長距離伝送しても、伝送後の波形が変わらない。このため、超高速光通信に有効に利用することができた。このソリトンという数理モデルの発見は、20世紀後半の数理物理学における最大の成果の一つと評する人もあり、物理と数学の結びつきを復活させた概念と言ってよいだろう。流体物理、プラズマ物理、非線形光学(非常に強い光と物質の相互作用)、固体物理、高分子化合物、原子核物理、素粒子理論、一般相対論理論、生物物理学などの数多くの分野で、ソリトンの研究が行われている。
(注10)薩摩順吉「第1回年会を終えて」(「応用数理」Vol.2 No.1 1992)には、会員数が1100名で発足した同学会始めての年会の様子が詳しく述べられている。実行委員会の委員長は、伊理正夫氏。副委員長は、森正武氏。委員として、牛島照夫、森清堯、薩摩順吉、杉原厚吉、杉原正顕、室田一雄、今井敏行の各氏。合計参加者数は 277名で、準備した予稿 300部が足りなくなるのでは、と心配された。招待講演(三村昌泰氏、矢川元基氏)を含めて、各講演は非常に盛況で、場所によっては立見の出る分科会場もあった。
(注11)「離散および超離散系」:薩摩順吉、時弘哲治「超離散化(Ultra-discretization):セルオートマトンと微分方程式をつなぐ」(「応用数理」Vol.9 No.3 1999)をご参照下さい。
Q3: 今後の本学会の向かわれる方向について、お尋ねしたいのですが。
薩摩会長 まず、法人化の問題、国際化の問題、そして、会員を増やして体力をつけること。これらは、どちらの学会でもご苦労されていることだと思います。
国際化に関しては、設立の当初から、海外の応用数学の学会との交流が盛んに行われてきました。会誌「応用数理」の創刊準備第1号には、米国の応用数理学会 SIAMの会長からのメッセージと、元会長による SIAMの紹介が掲載されています(注12)。SIAMは、現在約13000名の会員数を有する非常に大きな学会で、研究分野ごとのジャーナルも 15種類が刊行されています。日本では「和算」以来の伝統で純粋数学と応用数学を区別していますが、米国では応用数学者も「数学者」です。わたしは、語学に関しては何の準備もせずに米国に 2度研究留学して、合計 3年を過ごしました。数学は、国際言語です。語るべきことが数式で表現できれば、何国人であれ黒板の数式を通して意思の疎通ができ、人脈が横に広がります。特に、若い方たちに国際学会への参加を勧めたいと思います。なお、本学会では現在、工業数学・応用数学国際会議 ICIAMの日本開催に向けての招致活動を行っています。
会員を増やして体力をつけることに関しては、研究部会に準じる扱いを受けている「若い人の会」(注13)が、企業の若手研究者による招待講演を中心とした研究集会を企画して、開催しており、企業との交流から新しい研究テーマを見つけるなどの活動を積極的に行っています。学会誌でも、「インダストリアルマテリアル」の枠組みで企業の方の研究論文を歓迎して掲載してきましたが、こうした領域での数理的思考、数理的方法は、きわめて重要で大きな成果をもたらします。
ところで、1998年に全米研究会議が「米国の数理科学の国際評価」に関する報告書(通称オドム・レポート)をまとめています。この報告書では、数学が究極の分野横断領域であることから、数学研究資金が不足することは「数学論文数」世界シェアトップの米国の座をゆるがし、ひいては数理科学の分野融合研究を弱体化させかねない、という懸念が示されました。この、いわゆる「忘れられた科学‐数学」の議論は、米国の数学研究開発費の総額および科学研究費における割合を、引き続いて増加させる妥当性を示す論拠として、米国では受け容れられました。横幹連合でも、この議論を受けて、知の統合ワークショップ「横断型科学技術と数学」(2006年) が行われたことを伺っております。
数学研究は、実験や計測が必要になる理工学分野に比べて、経費が掛からないこともその大きな特徴です。科学研究予算の方向を、もっと基礎学問に向ければ、科学研究の底上げを図るという考えにのっとって若い研究者を育てられる、ということを、多くの皆さまが理解して下さればと切に願っております。
(注12)Golub Gene H.( Stanford University )「アメリカSIAMの活動について」(「応用数理」創刊準備第1号)。
(注13)研究部会に準じる「若い人の会」の担当者は、片桐孝洋准教授(東京大学)。最近の研究集会には、数十名の参加があった。
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