【協力】 横幹連合 広報・出版委員会 * * * ■横幹連合 ニュースレター編集室■ 武田 博直室長(VRコンサルタント、日本バーチャルリアリティ学会) 小山 慎哉副室長(函館工業高等専門学校、日本バーチャルリアリティ学会) 高橋 正人委員(情報通信研究機構、計測自動制御学会) 岡田 昌史委員(東京工業大学、ロボット学会) ■ウェブ頁レイアウト■ 稲田 和明委員(東北大学) |
横幹連合ニュースレター
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技の伝承の新展開に向けて * 第6回横幹連合コンファレンス 大会実行委員長 名古屋工業大学名誉教授 藤本 英雄 |
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巻頭メッセージ
技の伝承の新展開に向けて
第6回横幹連合コンファレンス 大会実行委員長
名古屋工業大学名誉教授 藤本 英雄
第6回横幹連合コンファレンスは、名古屋工業大学で12月5 ・ 6日に開催されます。皆さまのご参加をお待ちしております。豊富な経験、実績からご適任の越島一郎プログラム委員長を始め、実行委員、プログラム委員各位にご協力を頂き、鋭意準備を進めているところです。横幹連合ホームページに越島委員長と連名で、次のようにご挨拶を述べさせて頂いております。
横幹連合の使命は、自然科学とならぶ技術の基礎である「横断型基幹科学」の発展と振興であり、従前のモノつくりを超えた新しい「コトつくり」を提唱して参りました。今回のコンファレンスでは、これまで10年に亘り横幹連合コンファレンスで議論されてきた「コトつくり」を踏まえ、更に次の10年への橋渡しの意もこめて「サステナブル・イノベーションのための智」を統一テーマとして、イノベーションの継続的推進のために我々が提供できる「智」、行動しなければならない「智」を議論する場と致したく考えております。なお、知:知識を収めるだけでなく、智:物事を判断して適切に対応する段階に入ったのではとの思いから、大会統一テーマに「知」に代えて、今回は「智」を用いました。
今日の多様化する社会課題・社会要請にリアリティをもって向き合うには、各会員学会設立の背景にある学問領域を超えて知識や成果を集約することが不可欠となっています。そのような背景のもとに2年に1度開催されます横幹連合コンファレンスは、横幹技術の「展開」の役割を担っており、各会員学会が有する課題とその解決に関わる知識を深化・共有化・普遍化する交流の場となっています。
多くの皆様の積極的なご参加を、心からお待ちしております。
(第6回横幹連合コンファレンス ホームページより抜粋)
このコンファレンスでは、横幹連合に関わりのある方々を中心にオーガナイザーをお願いしましたところ、最初の呼びかけから予定した室数を追加するほどのご賛同を頂きました。国立長寿医療研究センター名誉総長、大島伸一先生による基調講演など4件の特別講演の概要を、ホームページに掲載しております。
この他にも、新しい試みとして、本部企画の「先達セッション」と実行委員企画の「若手研究者セッション」により、横幹連合に長く係わってこられた年長の方々のご経験と、横幹の未来を担う若手研究者の貴重なお話を聴講する機会も設定しました。技術系の学会講演会としては、講演時間も討論の時間も長めにとっておりますので、ご聴講者との充分なご議論を頂けるものと期待しております。
さて、この度、第6回横幹連合コンファレンス開催の直前という機会に、横幹ニュースレターの巻頭メッセージの執筆という貴重な機会を頂きました。
ここでは先ず、私の横幹連合との関わり合いから、お話ししたいと思います。それは、10数年前、私がスケジューリング学会の会長をしておりました際に、木村英紀東大教授(当時)より、新しい超学会組織の創設にお誘いを受けたことに始まります。スケジューリング学会も、当時は、まだ創設間もない新しい学会でしたが、木村先生の熱い思いに賛同して参加を決めました。その後も、木村先生が名古屋においでになる度にご交流を頂いております。木村先生の発想の新鮮さ、若々しさにはいつも感動し、灰色の脳細胞を活性化させて頂いております。超学会組織の創設のお話は、その後紆余曲折を経て、横幹連合の今の基礎が確立しました。その課程で、日立製作所主管技師長(当時)の林利弘氏らと連係し、林さんの業界の技術仲間の方々が中心になって、横幹連合の分野横断的な開発設計の基盤組織の確立と、広報のための活動が始まりました。
この頃の活動を紹介する記事として、2006年の「精密工学会誌」Vol.72,No.12 に拙稿「横幹技術と開発設計プロセス工学技術」を掲載しました。(注1)
筆者らは、横幹連合の下に、「開発・設計プロセス工学技術」調査研究委員会を設置し、主に家電業界の技術者を中心にその明確化と、大学教育プログラムへの普及、定着活動を開始している。日本のものづくりに必要なことは、“何をつくるか”と、“どうやってつくるか”における、日本の優位性を確立するための、伝統の技の伝承と基盤技術であり、そのような技と基盤技術を習得した人材育成のための具体的な教育プログラムである。そうした取り組みによって、日本の誇るべき「技術者の使命感」を回復し、日本企業への品質や安全に対する高い評価を取り戻す体系的取組みが期待されている。
これらは従来の専門技術中心の学会構造の中では議論の対象となることは少なく、こういった分野の技術を体系化し、開発・設計プロセスを工学的アプローチで遂行して行く手法などを扱う学問分野(「開発設計プロセス工学」と呼ぶ)も確立していない。今後はプロジェクト型教育研究開発に加えて、横断型の技術の新しい基礎を確立し、日本の強みにするべきである。
日本伝統の食の秘伝に「ひく」という技術があり、鰹節に限らず、干し昆布干しシイタケなどから、だしを取る(「ひく」という)技術は日本では、昔から料理流派や料亭の口伝になり、料理修行の要点の一つにもなっているという。情報化技術時代の「開発・設計プロセス工学」は、「料理の味の基本味覚」に相当する専門分野を問わない共通技術といえる。また、今後の課題として日本伝統文化の「ひく」という技と同様、日本の強みである「融合型」、「摺り合せ統合型」の原理を解明することが期待される。
(藤本「横幹技術と開発設計プロセス工学技術」より要約。なお、注1の
同文よりの抜粋もご参照下さい。)
このときの経験から得られた感想ですが、設計の見通しを立てる為には、システマティックな手順がもちろん大変に有意義ではありますが、「摺り合わせ」のプラスαの工夫によって、画期的な成果が得られるのではないか、と強く感じました。
少し余談になりますが、横幹連合と同様の超学会組織である〝生産学術連合会議〟の第5回大会が2001年12月に名古屋工業大学で筆者を大会長として開催されましたが、その際の特別企画として、「(伊勢の)式年遷宮における宮大工の技の伝承」を紹介することになりました。偶然のことでしたが、この企画が進む中で、私の今年88歳になる母の同郷で懇意な従兄弟にあたる人物が、この神宮式年遷宮を取り仕切る宮大工総棟梁の宮間熊男さんであることを知りました。私は、失敗学の畑村洋太郎 東大名誉教授や、生産技術の大御所・岩田一明 阪大名誉教授を何度も伊勢までお連れして、宮間さんのご自宅を訪ね、ビデオインタビューをしたり、伊勢神宮の作業場である山田工作場を見学させて頂いたりして、遷宮という技能伝承のためのプロジェクトをまとめました。大会当日には、宮間さんに名工大までおいで頂き、対談行事を行うことができました。得がたい貴重な経験ができましたし、横幹連合におけるコトつくりの伝統遺産の観点からも貴重な多くの記録が残せたと思います。
さて、ここからは表題である「技の伝承」にちなんだテーマを、私の解説文献の抜粋を含めて述べさせて頂こうと思います。
慣例として、かつての国立大学の工学部は、付属の「実習工場」を持っていました。しかし、時代の流れにつれて廃止される方向にあったのです。その衣替えとして、私は在任当時、名古屋工業大学に、文科省令による「ものづくりテクノセンター」を全国の国立大学で初めて創立し、ものづくり実践教育の取り組みを行ないました。この時から人材育成に興味を持ち、今もライフワークにしておりますが、日本のものづくりの”将来についての指針”や“技の伝承”について、機会があるごとに発言させて頂いております。その中の2~3のテーマについて、ここでは述べさせて頂きます。横幹連合の主要なテーマ「コトつくり」に、多少とも参考になるのでは、と思うためです。
初めは、触覚イリュージョンと触感デザインについてです。ARTing 05(花書院刊、2010)で次のような項目について論じました。その原典は、藤本「触感デザインとインダストリアルルネッサンス」、日本バーチャルリアリティ学会誌 Vol.14 No.3(2009)です。(注2)
■日本のものづくりの特色
日本独自の、言うならば、触感まで含めた新しいデザインには、日本が得手としている〝品質〟を進化させた感性品質の「ものづくり」を、これから取り入れていく必要がある。
■触覚イリュージョン
感性に響く、心地よい触覚がある。触覚感性メカニズムに基づいたシステマティックな「触覚デザイン評価」の確立と、「触覚デバイス」の開発が望まれる。
■感性品質と、ソフトフィールシボ
この分野の先行開発事例として、「ソフトフィール硬質面に関する研究」と称する、筆者の研究室のスタッフメンバーも参加した日産での成果がある。一般的には堅くて薄っぺらな感触で「プラスチッキィ」と悪評される硬質プラスチックを使い、かつソフトフィール塗装などをコーティングしないでも、ある表面特性(表面形状)によって高級な材料に勝るとも劣らないソフト感を生成できた。表面には、「シボ」と呼ばれる凹凸形状が施される。開発したソフトフィール硬質面は、表面に微凹凸を配置しただけの単純なものであるが、触ってみると、表面に何か塗ってあるかのような心地よい感触があり、しかもソフトな触感である。高級セダン「フーガ」のドア内側のグリップに採用されるなど、現在では多くの車種で採用されている。
■インダストリアル触感デザイン
現在、「触感デザイナー」という職種は現存していないと思う。「触感デザイナー」には、触覚のサイエンス的な専門技術が必要である。これからの日本のものづくりの特色ある展開に必要になってくる人材であろう。
(藤本「触感デザインとインダストリアルルネッサンス」より要約)
上記の研究は、私を世話教授として名古屋工業大学へトヨタ自動車様より頂いた寄附講座である“技と感性の力学的触覚テクノロジー講座”(2003年より5年間開設)から派生した成果の一部です。現在も、筑波大学の望山洋准教授(当時名古屋工業大学トヨタ自動車寄附講座准教授)と私で、共同研究を進めております。関連研究は、日本バーチャルリアリティ学会誌 Vol.14 No.3(2009)に「特集:インダストリアル触感デザイン」として望山先生が編集していますので、ご参照下さい。
二つ目の話題は技の伝承です。以下は、平成16年に発行された、文部科学省「科学技術・学術審議会資源調査分科会報告書」第2章「文化資源の保有」、藤本「2.デジタル化による動きを伴う伝統技能の保有・伝承」よりの要約です。(注3)
■ 関連する要素技術の紹介
技能の「保存伝承」に関連する研究で用いられていた技術、および今後の応用が期待できる関連要素技術について紹介する。以下の技術は、すべて筆者の研究室で研究が行なわれている。
(1) 遠隔操作ロボットハンド
マスタ(操作側)の動作をデータグローブを用いて計測し、そのデータをスレーブ(動作側)のロボットハンドに転送することで、人間の動作が再現可能になる。遠隔地のロボットを操作しながら陶芸を行う「遠隔陶芸システム」や、陶芸動作データの保存とロボットによる再現などに利用できる。
(2) 触覚センサ内蔵ソフトフィンガ
ソフトフィンガは、人間の触覚機能の一部を模擬した物で、人間の指と同じように柔らかい素材で作られている点が大きな特徴である。陶芸の粘土や生体の臓器などの柔軟な対象物を扱う場合に、センサを内蔵したソフトフィンガを用いることによって、人間が柔軟物を操作した場合の触覚を正確に計測することが可能となる。
(3) 力触覚マスタ・スレーブシステム
マスタロボットには、力センサと超音波触覚ディスプレイが装備されており、親指と人差し指による把持動作と、持ち上げ動作が計測できる。また、スレーブロボットは、先端にソフトフィンガを装着した2指ロボットハンドになっているので、マスタロボットの2自由度に対応した再現動作が可能である。マスタロボットは、人間との接触部分に超音波触覚ディスプレイが装備されており、ディスプレイ表面に圧電素子を用いて超音波進行波を発生させることで、すべり感覚を実現できる。
本技術は、陶芸における粘土のすべり感覚の計測および提示に応用できる。
■ まとめ
陶芸や宮大工の技能伝承においては、視覚系の技術とあわせて、力覚および触覚が、技能の保存、伝承に重要な役割を果たすということが分かってきた。ここでは、力覚および触覚の計測、保存、伝達、提示技術について、現状および今後の課題を示した。
本報告では、ロボット工学、人工現実感(バーチャル・リアリティ)、遠隔操作、力触覚計測・提示技術等が、文化資源の保存伝承にとても有効であることを提言した。
(藤本「2.デジタル化による動きを伴う伝統技能の保有・伝承」より要約)
技の伝承についての、その後の展開を述べます。
私は、ロボット技術の応用分野として、手術支援ロボットの開発研究にも長い間、携わっています。数年前には、経済産業省NEDOの国家プロジェクトにも参加しました。これらの活動の中で、近年のロボット技術の進歩と、開発を進めている「熟練の技の伝承」に関する方法論について、述べたいと思います。
マスコミでも話題になる「神の手」をもつ外科医の話があります。熟練した技を持っており、超難度の手術を成功させる名医。マンガにも描かれる典型的な手術室の光景ですが、「神の手をもつ」名医のまわりを多くの若い医師が取り囲んで一挙一動をも見逃さないように、目を凝らして名医の手元を見ています。視覚のみが頼りですが、体験の伝承に期待しての光景です。この原型が、実は、日本(だけではないと思いますが)では古来、職人や芸術の日本国宝のような方の技を、その近くにいて一挙一動を見習うための「でっち奉公制度」なのです。一見、大変“効率が悪い”と思われますが、長い時間をかけて、師匠のすべての日常生活作法も含めて体得して身につけることにより、その奥にある「技の真髄」を理解しようとするシステムといえます。しかし、目的は技の修得ですから、動きやタイミングが重要なのであり、視覚のみでは、技術の獲得におのずと限界があります。
一方、近年のロボット技術、特に遠隔操作やマスタースレーブの双方向情報伝達技術の進展によって、人から人への、技の重要な一要素である力感覚の伝達が、かなり正確に再現できるようになってきました。力感覚に関するセンサーや力覚ディスプレイの開発が進んでいます。視覚に加えて、この技術をうまく利用することで、古来行われていた「でっち奉公制度」の画期的な展開が可能になり、前出の「神の手」をもつ名医の実演、患者の生死にかかわる真剣勝負の場での体験システムの新しいスタイルの可能性が生まれるように思います。
こうした発展の下で、ロボットを使って習字の手本を学ばせたり、機械工の脳内を解析したりといった熟練者の技能をITの力で次世代に伝えようとする研究が始まっています。以下は、日経産業新聞2015年4月23日の掲載記事です。
熟練者の技能をITの力で次世代に伝えようとする研究が相次いでいる。ロボットを使って習字の手本を学ばせたり、機械工の脳内を解析したりといった試みだ。ともに医療への応用が期待できる。小型センサーをウェアラブル端末に組み込んで、スポーツ選手の育成を目指すという動きも出てきた。
日本には古来、弟子が住み込んで職人の技を見て学ぶ「でっち奉公制度」がある。「ロボットの技術を活用し、新しいでっち奉公制度を作る」と意気込むのは名古屋工業大学の藤本英雄名誉教授だ。ロボットには鉄人28号のように遠隔操作で操る「マスタースレーブ(主人と奴隷)型」と鉄腕アトムのように自律的に物事に対処する「ヒューマノイド型」の2種類がある。名工大チームが開発したのはマスタースレーブ型の「書道体験システム」で、習字熟練者の感覚を取り出すセンサーを内蔵した。
マスター側の熟練者が書くときの力加減と触覚、位置情報を同時に伝えることができる。スレーブ側の初心者は熟練者に操られ、筆を持つだけで熟練者の止め、はね、はらいなどの感覚を体験できる。
センサーをさらに小型化し、将来は医療機器に応用したい考えだ。藤本名誉教授は「手術中の生死がかかった真剣勝負の場で、神の手と言われる医師がどのような動きをするのか、を体験できるようにしたい」と力をこめる。
(日経産業新聞掲載記事)
私どもは、このシステムの陶芸や書道システムへの展開を実現しています。「書道体験システム」の実演は、2010年3月にNHKで全国放映されました。 このマスタースレーブシステムを用いれば、マスター側、スレーブ側、それぞれ1名または複数名に対して、力加減と触覚、位置情報を、いずれか一方の側へ同時に伝える双方向伝達が可能となります。これによって、例えば、技の曖昧模糊とした部分のブラックボックスの情報も、体験システムとして、人から人へと伝達できる可能性が生まれます。力覚センサーや力覚ディスプレイの開発を工夫すれば、いろいろな応用展開をいくつも考えることができるでしょう。そして利用の仕方によっては、リハビリや医師による患者の治療への新しい方法論への展開もできると思います。その芽となる研究の一つとして、愛知工科大学永野佳孝教授らによる研究例「硬さの記録・再現デバイスの開発研究」(「第20回日本バーチャルリアリティ学会全国大会論文集」pp.160 / 161、2015年9月)などが挙げられます。
さて、横幹連合が、形を整えて活動を開始してから約10年を経て、これからは明確な画期的な成功事例や、究極の課題であるシステム設計の方法論の解明への期待が高まる時期です。現在のところ、システム設計の方法論については、充分どころか、ほとんど解明されているとは言いがたいと思います。技の伝承に関する体験システムの実現例を述べましたが、近年、画期的な情報系の新技術環境や道具、例えば、クラウドやビッグデータなどが多く出現しています。これらの新技術と連携した新しい方法論と発想に基づいて、システム設計の脳活動に迫ることができればと、70歳を目前にして、全面的な現役復帰を考えている今日この頃です。
(注1)横幹連合「開発・設計プロセス工学技術」調査研究委員会の活動などについて。(藤本「横幹技術と開発設計プロセス工学技術」、精密工学会誌 Vol.72 No.12、2006、pp.1439 / 1441よりの抜粋。)
ものづくりにおける技の伝承と人づくりについて、筆者は、“技の伝承と人づくり(IEレビュー238号、日本IE協会 2004年12月刊、p.49)”において、21世紀の日本のものづくりの課題と進むべき方向、指針について論述した。
課題の一つは、技術者の使命感である。千数百年伝え続けられている伊勢神宮の伝統行事式年遷宮を通じて、宮大工総棟梁の宮間熊男さんは次のように語っていた。「職人として遷宮に参加するのは、お金の問題だけで語られるものではなく、自分も日本の文化を守っているんだという誇りを感じられる仕事だからです。」さらに、かつては、技術の発展が、我々の社会を豊かにするのだという強い使命感を末端の技術者までが抱いていた。最近は、環境問題などで技術の負の側面が大きく出てきたことにより、このような技術者の期待感、使命感は幻想であったと多くの人たちが思うようになってきている。かつてほとんどの日本企業が持っていた品質や安全に対する倫理観、責任感が失われてきていることは確かである。近年の事故多発と技術者の使命感も深い関係がある。技と人は、一体不可分である。ものづくりと技術者に使命感の復権が必要である。日本の誇るべきものづくり技術文化である技術者の使命感を回復し、かつての日本企業のほとんどすべてが持っていた品質や安全に対する高い評価を取り戻すための一貫戦略と体系的取組みが期待される。
日本のものづくりに必要なことは、“何をつくるか”と“どうやってつくるか”において、日本の優位性を確立するための、伝統の技の伝承と基盤技術であり、そのような技と基盤技術を習得した人材育成のための具体的な教育プログラムである。日本の“ものづくり”と“もの”が高い評価を回復することが緊急の課題であるが、そのための人材育成の一貫戦略と、具体的で明確な教育プログラムを、行政の教育機関と産業界が協力し、日本伝統のものづくり文化として、確立するべき時期にきている。産学官の組織や業界を問わず、人材育成活動については、色々な取組みも始まっている。(中略)
伝統の日本文化である「技」が日本のものづくり技術のかつての強みであった。これは、通常、複数の縦型専門技術を組合わせることにより成果を得ることができる融合型である。再認識すべきである。ただし、今後はプロジェクト型教育研究開発に加えて、明確な欧米流基本技術である、横断型の技術の新しい基礎を確立し、日本の強みにするべきである。
筆者らは、横幹連合の下に、「開発・設計プロセス工学技術」調査研究委員会を設置し、主に家電業界の技術者を中心にその明確化と、大学教育プログラムへの普及、定着活動を開始している。開発・設計のための横幹型技術の一例として分野対象問題を問わず必要な汎用的な技術、共通基礎工学技術として教育していくことの必要性を認識し、先行活動を行っている日立製作所主管技術長林利弘氏の文献(幹事大学 秋田大学「大学電気工学教育研究集会」分科会・特別講演予稿集、科学技術振興事業団、2003年7月24日)を参考に解説する。
個別の技術分野に特化せず、質の高い製品の開発・設計を効果的・効率的に行うための各種方法論・手法・技法・技術が色々と開発され、実務においても効果を発揮している。これらは従来の機械、電気情報通信といった専門技術中心の学会構造の中では議論の対象となることは少なく、一方ではこれら専門技術に依存せず共通的な技術を総合的に扱う学会が存在しないことも影響して、これまでこういった分野の技術を体系化し、開発・設計プロセスを工学的アプローチで遂行していく手法などを扱う学問分野(「開発設計プロセス工学」と呼ぶ)が確立していない。本特集号のあとの解説で論述される各種開発・設計の技法やデジタルエンジニアリング(DE)技術(藤本英雄「デジタル設計・生産の現状と可能性」生産現場のソフトウェア、ニュースダイジェスト社、2006年7月25日、p.19)などをとりあげ、日立では、会社の開発・設計技術者、研究者を対象に企業内研修として、長期に実施している。具体的な成果も報告されており、また、適用分野は、日立製作所の全製品分野・プロセスにわたっており、これら技術の汎用性と実用性が実証できたとしている。そして、大学教育に対しても、産業界の立場から横断型に基幹技術の必要なこと、かつ、その教育プログラムの具体例を提示している。
「開発・設計プロセス工学」技術は開発・設計のための分野を問わない、横幹技術である。筆者らは、2005年1月21日、2006年4月17日にそれぞれ多くの企業の技術者を集めてフォーラムを開催、また、2006年11月17日機械学会D&S講演会では特別企画を予定している。研究会活動やフォーラムではこの技術を開発現場の最前線にいる開発・設計者に定着することと、工学系の大学におけるものづくり実践教育の新しい基礎教育科目として提示することを目的としている。
さて、目にとまった新聞記事(中日新聞、中日サンデー版第2面、 2004年9月5日)であるが、日本伝統の食の秘伝に「ひく」という技術があり、鰹節に限らず、干し昆布干しシイタケなどから、だしを取る(「ひく」という)技術は日本では、昔から料理流派や料亭の口伝になり、料理修行の要点のひとつにもなっているという。
曖昧模糊とした「ひく」という技が料理をひきたてる決定的な役割を演じていることが日本料理の伝統文化である。
料理において、欧米の基礎味覚は、甘い、酸い、塩辛い、苦いの4つである。これらに対応して、それぞれ砂糖、酢、塩、ホップなど、はっきりした味の調味料があり、わかりやすい。それに比べるとだしの味は、わかりにくいとされていた。
明治以降になると、日本料理の味覚の基であるだしにも近代科学の光が当てられて、日本の化学者たちによってそれぞれの成分が突き止められてきた。だしの味は「うま味」という名で呼ばれるようになっている。以前はアメリカでは、「うま味」は味というよりは料理の味を強調する効果と認識されて、グルタミン酸ナトリウムが「アクセント」という商品名で売られていたという。最近では、その後、日本で神経生理学的な研究の結果、うま味が基本味覚の一つであることが解明されて、やっと欧米でも認知された。今では「国際UMAMIシンポジウム」も行われているとのことである。
それにしても、古くから、日本の料理の世界では、4つの基本味覚に匹敵し、料理を引き立てるとされていた だしの味「うま味」が、日本伝統の技として、確固とした地位を確保していたことは興味深い。
情報化技術時代の「開発・設計プロセス工学」は、「料理の味の基本味覚」に相当する専門分野を問わない共通技術といえる。また、今後の課題として日本伝統文化の「ひく」という技と同様、日本の強みである「融合型」、「摺り合せ統合型」の原理を解明することが期待される。
開発・設計プロセス工学すなわち基盤技術である技法・デジタルエンジニアリング技術などを大学での基礎教育へ展開することは、ものづくり教育の究極の課題でもあるが、同時に横幹技術の立場からはこのものづくり教育での実践への取組みを、一つ先行事例として、摺り合せの解明と基幹技術化が真の知の融合へつながるものと期待される。
先に述べた、中核人材育成事業においても、中小企業のカリスマ経営者の人材育成や経営ノウハウを解明することは、熟練した開発設計者やプロジェクトコーディネータの場合も含めて、人・モノ・コトに対する目利きの養成指針の解明につながると考えられる。
いずれにせよ、横断型の切り口は、ものづくり分野の今後の展開に欠かせない重要な役割を果たすであろう。
(藤本「横幹技術と開発設計プロセス工学技術」、精密工学会誌 Vol.72 No.12、2006、
pp.1439 / 1441よりの抜粋。)
(注2)「触覚イリュージョンと触感デザイン」について。以下は、ARTing 05、花書院刊、2010よりの抜粋。その原典は、藤本「触感デザインとインダストリアルルネッサンス」、日本バーチャルリアリティ学会誌 Vol.14 No.3、2009、pp.135 / 138です。
■日本のものづくりの特色
ご承知のようにイタリアではものづくりにおいてデザインを優先する文化がある。イタリアでハプティクス国際会議があったときのこと。普通国際会議が開かれると、その国を特色づけるお土産が出たり、カバンが配布される。このイタリアの学会でもカバンが配布されたが、そのカバンが大変好評で、皆さんいつもカバンをさげて学会に参加していた。
これはプロシーディングスを入れる目的で配布されるものだが、このカバンはプロシーディングスの厚さ・大きさと合わず、カバンにプロシーディングスが入らないという状況が起こっていた。それでもカバン自体は皆さんに好評でカバンをさげてプロシーディングスを入れる紙袋を別に持っているというような状況であった。このようにイタリアのものづくりを特色づける点として、すごく感性がいい製品ですが、機能的にはあまり考慮がされていない。これはひとつのイタリアのものづくり文化じゃないかなと思う。
ひと時代前、日本のものづくりに関しては自動化がもてはやされ、世界のものづくりの中で日本のものづくりを特色づけていた。
現在では、日本のものづくりは多少低迷しているが、日本のものづくり技術レベル自体はそんなに低いものではない。ものづくり製品において、日本を特色づけるものとしては機能と品質であろう。イタリアとはかなり異なるものづくりの文化を、日本は持っている、かつては持っていたといえる。
次の時代に向かって、日本のものづくりを特色づける指針が必要である。また同時に若い世代に夢を持ってもらえるような新しいものづくりの指針が必要である。そういう点から、新しい切り口を必要としている時代に入っている。感性品質・感性精度・触覚イリュージョンのような考えをこれからの日本のものづくりに積極的にいかすことが世界のなかでものづくり競争力を維持するためには、日本のものづくりに求められている。日本独自の新しい、いうならば、触感まで含めたデザインに日本が得手とした〝品質〟を進化させた感性品質ものづくりをこれからは取り入れていく必要がある。新しい価値の創造としての〝触感デザイン〟の将来のものづくり産業展開への指針を私見として述べたい。
■触覚イリュージョン
我々が感じている触覚は、従来の物理情報では“正確に”表せない部分がある。一つの例がサイズウェートイリュージョンである。重さが一緒でサイズが異なる円筒があるとする。天秤では同じ数値を示すが、ヒトがこれをもつと、ヒトは小さいサイズを重たいと感じる。天秤による結果を示した後、再度実行しても同様の感覚である。視覚ほど多くはないが、触覚にも錯覚がある。錯覚現象をもとに、脳における触覚の情報処理メカニズムを解明していきたいと考える。
官能評価の限界についてふれる。こんにち、ヒトの知覚の評価には官能評価を用いる方法が一般的であり、触覚に限らず、味覚、視覚など様々なヒトの知覚を対象に行われている。しかし、官能評価にはいくつかの問題点が挙げられる。官能評価において、被験者は、実験者の用意した官能評価用語、つまり“なんとか感”などのような言葉によりポイントなどをつけて自分が感じた主観的な評価を目に見える形として落とし込む。すなわちこの官能評価用語が被験者の言いたいことを適切に表現できるようなものでなければならない。しかし、感じ方が個人個人異なること、言葉で言い表せないような知覚も存在するために、なかなか被験者の言わんとすることを端的に表せていないのが現状であると感じられる。
感性に響く心地よい触覚がある。触覚感性メカニズムに基づくシステマティックな触覚デザイン評価の確立、触覚デバイスの開発が望まれる。従来、物理量を計測器で測って、産業界ではものづくりの精度として使われている。これに対して、感覚とか感性を従来の普通に使われている官能検査とかアンケートとは違う意味で表現したい。どういうふうに違うかというと、再現性があるとか、それなりにすごい主観を表しているのだけれども、なんらかの客観評価ができるような方法が必要である。近年、脳画像計測技術の進歩、利用性の向上により脳科学手法への期待が高まっている。錯覚現象をもとに、脳における触覚の情報処理メカニズムを解明するために、脳活動の計測による触感解析の手がかりについて述べる。先行例をあげる。
心地よい触覚のfMRI脳機能解析が試みられている。ベルベットハンドイリュージョンの心地良さを利用してMR対応触覚ディスプレイが製作され、多くの所見が得られている。これにより、触覚的心地良さなどの所望の機能に関する脳部位が特定できるだけではなく、関連する知覚現象を発見できる可能性が高まっている。
たとえば触感等価な触対象の選好判別をこっそり含めた〝MR対応簡易ロックボールモデルによるシフトフィールの選好判断〟の実験が行われ、内的バイアスに関する脳部位の活動の度合いを調べることにより官能評価者が下した選好判断の正当性が計測できる期待が生じている。その脳科学観点を、テクスチャの心地良さなどに応用する研究も行われている。
■感性品質とソフトフィールシボ
日本のものづくりにもう一度世界での競争力を復活させるカギは〈感性品質〉の導入である。そして、従来の物理量とその工学的計測技術に基づいた品質の評価から、製品を使用するユーザはヒトなのだからユーザ志向のデザイン品質管理と評価手法に変更すべきである。また、筆者らの関連する分野では、触覚の感性品質である触感が未知の魅力的な分野である。
触覚の錯覚が示唆することは、サイズウェートイリュージョンにみられる様に、我々が感じている錯覚は、従来の物質情報とは一対一に対応はしていないこと、ベルベットハンドイリュージョンにおける様に、高級な素材そのものを使用しなくとも心地よい触感は生成できる可能性があることである。
このように、人間は、もの自体を意識しているわけではない、現象を認識しているに過ぎないといえる。
この分野の先行開発事例として、ソフトフィール硬質面に関する研究と称して、筆者の研究室のスタッフメンバーも参加した ㈱日産での成果がある。開発研究の概要は、以下である。一般的に堅くて薄っぺらな感触で「プラスチッキィ」と悪評される硬質プラスチックを使い、かつソフトフィール塗装などをコーティングしないで、ある表面特性(表面形状)により高級な材料に勝るとも劣らないソフト感を生成した。表面に「シボ」と呼ばれる凹凸形状が施される。シボには幾何学的なもの、革を模したものなどがある。これらは通常視覚的なデザイン性が重視されてきたが、なぜか触感がいいものが希に存在する。開発したソフトフィール硬質面は、表面に微凹凸を配置しただけの単純なものであるが、触ってみると、表面に何か塗ってあるかのような心地よい感触であり、しかもソフトな触感である。そのメカニズムは、配置した凹が、指腹接触部の周辺領域への触刺激を与える、そして触覚的な後効果が重要な役割を担っていると考えられる。その成果は新型フェアレディZに搭載され、その紹介は、モーターファン別冊第421弾:新型フェアレディZのすべて(平成21年2月7日発行)に掲載されている。高級セダン「フーガ」のドア内側のグリップに採用されるなどその後の生産車種にも採用予定である。(当時。現在は多くの車種で採用されている。)
■インダストリアル触感デザイン
さて、そのための担い手、いうならば〈触感デザイナー〉を養成すべきであることを提案したい。現在、視覚にベースをおくアートを対象とするアーティストと呼ばれるデザインの専門家は多少はいるが〈触感デザイナー〉という職種は現存しないと思う。〈触感デザイナー〉には、触覚のサイエンス的な専門技術が必要である。現存するアーティスト、デザイナーと工学の触覚技術者との中間的なところのヒト、こういうヒトを〈触感デザイナー〉として位置づけたい。これからの日本のものづくりの特色ある展開に必要になってくる。
官能検査とかアンケートのみを解析や評価に用いるだけではなく、本稿で述べた触覚イリュージョンの世界や感性品質という概念を取り入れた分野の触感デザイナーが必要であろう。感性品質ものづくりにシステマティックな方法論でかかわることができる触感デザイナーが日本製造業の救世主となりうる。そして、その為には、その組織作りと体系的な養成に着手することが急務である。
(以上は、ARTing 05、花書院刊、2010 よりの抜粋。その原典は、藤本「触感デザイン
とインダストリアルルネッサンス」、日本バーチャルリアリティ学会誌 Vol.14 No.3、2009、
pp.135 / 138。)
(注3)「技の伝承」について。以下は、文平成16年に発行された、文部科学省「科学技術・学術審議会資源調査分科会報告書」第2章「文化資源の保有」、藤本「2.デジタル化による動きを伴う伝統技能の保有・伝承」pp 54 / 69 よりの抜粋。
2-1 はじめに
伝統技能とは、伝統的な工芸品などを作るための高度な技術であり、その多くは手工業で、100年以上にわたり職人から職人へ、試行錯誤や改良を経て伝えられている。伝統技能においては、作品などの有形で静的な結果も大切であるが、製法などの動きを伴った技、つまり無形で動的な過程も大変重要である。
動きを伴う技は、体験と訓練により体で覚えるという方法によって伝承されているため、その技術の習得には長い年月を必要としている。これに対し、近年技能の保存、伝承において写真やビデオ映像などの利用も試みられるようになっている。
本報告では、人間の動きを伴う技と言われている部分を最新の立体映像技術や人工現実感(バーチャル・リアリティ)技術を用いて視覚化して記録することや、近年話題になっている力覚、触覚を含めて保存、伝承する技術について、機械系、電気系、情報系などの工学技術の中で何が利用できるかについて、実例を交え、現状と未来について説明する。
2-2 文化資源の保存伝承
本報告では、陶芸家や宮大工の伝統技能など、人間の動きを伴った技、文化資源の保存伝承に絞って紹介する。また、舞踏や様々なスポーツなど、芸能的な要素の強いものも動きを伴うということで、将来的には含まれてくる分野である。また、伝承の必要な技能として、技能以外にものづくり文化も含んで考えていく。
伝統技能には、ものづくりという知能レベルの開発、設計、管理のような静的なものと、製造、運搬のような動きを伴う匠の技と言われている動的な物の両方がある。知識には、個人の経験や学習によって蓄積され、文章や図表によって表わすことが難しい暗黙知と、文章や図表など何らかの形で他人に伝達できる状態に整理された形式知があり、静的な暗黙知を形式知に変換して保存、伝承したり、組織として活用したりするナレッジマネジメント(Knowledge Management)という手法が話題になっている。これに対し、動きを伴う暗黙知の技能伝承がどこまでできるのか、近い将来に実現可能なことや今後の課題について、動的な匠の技に焦点を絞って紹介する。
動きを伴った技能の保存については、近年映像として記録する方法が一般的になっている。我々は、保存もまた伝承の範疇として考え、技能を臨場感のある3次元立体映像として保存することに取り組んでいる。また、映像は視覚のみであるが、視覚だけでなく触覚や触感についても研究を進めている。この他にも、結果だけでなく過程、時間的な要因や、人から人への伝承における感性的な部分など、多くの課題が存在する。
この他、伝統技能の保存伝承には教育・訓練の方法論も密接に関係するため、工学技術を用いた新しい教示の方法や、動きを伴った技を伝える方法についても触れていく。近年医学と工学の接点の分野が話題になっており、外科手術支援や手術シミュレーションの開発が行われている。これらの分野も文化資源の保存伝承に関連が深いので、我々の取り組んでいる先行研究を幾つか紹介し、併せて関連する要素技術についても述べる。
2-3 技能の保存伝承に関連する研究活動の紹介
技能の保存伝承に関連して、次のような研究活動を行っている。
・ 陶芸技術のデジタルマイスター化と伝承方法の確立と再現
・ 伊勢神宮における技能とその保存伝承
・ 技と感性の力学的触覚テクノロジー講座
・ 医学系分野における技能の教育・訓練
これらについて順次紹介していく。
(1) 陶芸技術のデジタルマイスター化と伝承方法の確立と再現
本事業は、平成14年度産学提案型情報技術活用先進システム構築事業として民間企業と名古屋工業大学により実施された研究開発プロジェクトである。陶芸は、従来職人から職人への伝承として受け継がれて来ているが、本プロジェクトでは職人の手指の動きをデジタルデータとして取り込み、コンピュータ・グラフィックス(以下「CG」という)により再現し、これをデータベース化することを目的としている。職人の技能伝承(デジタルマイスター)をアーカイブ化(保存・継承)することにより、未来への技術伝承、教育、訓練への新基軸となり得ると考える。
陶芸には、例えば①土練り、②形成、③乾燥、④素焼き、⑤絵付け、⑥釉掛け、⑦本焼きなど、非常に多くの工程を含んでいる。これら陶芸の一連の流れの中で、本プロジェクトでは成形の工程を取り上げた。また、成形の手法にも、ろくろや手びねりなど素手による作業と、こてやへらなどの道具を用いた作業がある。ここでは、ろくろを用いた手による作業を対象とした。
陶芸の形成技術においては、陶芸家の手の動き、力の入れ方、そして指先の感触などが重要となる。これら形成技術の保存伝承には、形状や動作などの視覚的な情報が重要であるが、これとあわせて力覚、触覚の情報も欠かせない。まず形成技術の保存伝承の第1段階として、臨場感のある3次元映像で、動きのある技を記録する試みを実施した。そしてプロジェクトの今後の課題として、力触覚の重要性や可能性についても検討した。
3Dビデオとは、レンズが2つついた特殊なカメラで撮影することにより、右目用と左目用の映像が交互に入った特殊なビデオである。この3Dビデオを液晶シャッターメガネをかけて見ることにより、撮影した映像を立体視することができる。本事業では、陶芸家の手の動きを特殊カメラで撮影し、陶芸の形成過程の3Dビデオを作成した。本ビデオにより、陶芸職人の形成過程を立体的に何度も繰り返して観察することが可能となる。
次に、陶芸家の動作計測を行った。まず陶芸家の手や指の寸法を正確に計測し、コンピュータの中に陶芸家のデジタルモデルを作成した。そして磁気式の3次元モーションキャプチャ、およびデータグローブ等を使用し、陶芸作品を形成中の陶芸家の腕と手、指の動きを計測した。計測したデータを用いてコンピュータ内のデジタルモデルを動かすことで、CG上で陶芸家の動きをリアルに再現することができる。
続いて、陶芸家のデジタルモデルと、計測した陶芸家の動作、そして粘土の変形の様子を組み合わせることで、バーチャルCGムービーを作成した。今回作成したバーチャルCGムービーは、陶芸家の腕と手、そしてろくろの上で回転する粘土が画面上に映し出され、陶芸作品を形成する一連の動作が再現される。もちろんバーチャルCGムービーも3D立体視が可能である。
バーチャルCGムービーは、3Dビデオと比較して次のような特徴を持つ。まず、陶芸家のデジタルモデルと計測した動作データに基づきCGを作成しているため、映像の視点を自由に変更することができる。通常では撮影が難しいカメラアングルからの映像も自由に観察することができる。また、粘土や腕を半透明にして提示することで、従来は隠れていて見えなかった粘土の裏側の手の動きや、手の中での粘土の様子を観察することができる。この他にも、指と粘土が接地している面の動きを提示したり、人が粘土に加えている力の情報を提示したりするなど、映像以外の情報を重ねて提示することも可能である。
陶芸家からは、これらの3DビデオやバーチャルCGムービーについて、従来は見られなかった多くの情報が得られ、陶芸家の教育訓練にとても有効であり、実用化が期待できるという評価を得ている。
(中略)
本事業の今後の展開としては、動作と同時に陶芸家の手や指にかかる圧力も計測できるシステムを開発することで、動作データと併せて力触覚のデータも保存および提示することを目指している。また、記録保存した動作および力触覚データを転送することで、遠隔地にあるロボットを用いて陶芸を行うことも考えている。本システムを使った陶芸職人の教育・訓練、次世代に職人の技術を伝承していくためのデジタルマイスターミュージアム設立の足がかりとなるような研究・開発を続けている。
この他、映像情報、力触覚情報とマスタ・スレーブロボットやネットワーク等を用いることで、バーチャル陶芸や、遠隔陶芸など、臨場感のある陶芸体験をすることができる。ここで、職人の技の中で動きに関する部分はモーションキャプチャ等のセンサを用いることで計測可能である。そこで、人間が粘土にかけている力や触覚を検出するセンサや、力触覚を人間に提示するディスプレイ技術が必要となる。
陶芸技術の保存伝承という観点から現在の技術をまとめると、まず視覚系については、第1段階として作品を保存する、虎の巻など文字で記録する、そして師匠の技を目で盗んでいた段階から、写真や2次元ビデオに記録する第2段階に進み、そして今回紹介したように、3次元の立体ビデオやコンピュータ・グラフィックスを用いた透視、自由に視点が変えられる人工現実感(バーチャル・リアリティ)を利用する段階に来ていて、3Dカメラやモーションキャプチャ、データグローブといった道具が使われている。そして力覚や触覚と映像を組み合わせる第4段階について、現在研究として取り組んでおり、ここで力覚センサや触覚センサが必要となってきている。
また、遠隔操作および力触覚系については、一方向にデータを転送して遠隔地からロボットを操作するユニラテラル遠隔操作については実現できており、現在バーチャル粘土、自動陶芸ロボット、双方向遠隔操作について取り組んでいる段階であり、人間が操作するマスタロボットの機構、触覚ディスプレイ、また技の教示・伝承方法の開発などが課題となっている。
(中略)
2-4 関連する要素技術の紹介
これまでに紹介した技能の保存伝承に関連する研究で用いられていた技術、および今後応用が期待できる関連要素技術について紹介する。以下の技術は、すべて筆者の研究室で研究を行っている技術である。
(1) 遠隔操作ロボットハンド
マスタ(操作側)の動作をデータグローブを用いて計測し、そのデータをスレーブ(動作側)のロボットハンドに転送することで、人間の動作を再現可能である。本技術は、遠隔地のロボットを操作しながら陶芸を行う遠隔陶芸システムや、陶芸動作データの保存とロボットによる再現に利用できる。
(2) 触覚センサ内蔵ソフトフィンガ
ソフトフィンガとは触覚を検知するセンサの一種で、技能の保存伝承においてとても重要な要素の一つである。従来から力覚や接触を検知するセンサは開発されているが、金属などの硬い素材が用いられているなど、人間の受容器とは全く異なる物であった。これに対し、ソフトフィンガは人間の触覚機能の一部を模擬した物で、人間の指と同じように柔らかい素材で作られている点が大きな特徴である。例えば陶芸の粘土や生体の臓器などの柔軟な対象物を扱う場合、その変形の様子は対象物とセンサの相互作用によって決定するため、ソフトフィンガを用いることで、人間が柔軟物を操作した場合の触覚を計測することが可能となる。
人の表皮に相当する部分はシリコンゴム製で、指紋に相当する文様が表面に形成されている。また真皮に相当する部分はシリコンゲル製で、その中に皮膚の触覚受容器を模擬した小さなコイルばねが複数設置されている。シリコンゴムやシリコンゲルは柔軟なため、ソフトフィンガの表面は人と同じように押されると容易に変形する。コイルばねの歪みを検出することで、接触力やすべり感覚を検知することができる。
現在、このソフトフィンガを用いることで、粘土の触感の計測について検討している。
(3) 力触覚マスタ・スレーブシステム
マスタロボットには、力センサと超音波触覚ディスプレイが装備され、親指と人差し指による把持動作、および持ち上げ動作が可能である。また、スレーブロボットは、先端にソフトフィンガを装着した2指ロボットハンドで、マスタロボットの2自由度に対応した動作が可能である。
スレーブロボットが表面が滑らかでつるつると滑るくさび形の対象物を把持している。このような対象物は、指による把持力が大きすぎると上にすべり、小さすぎると下に滑ってしまうため、正しく把持することが難しい。このようなすべり感覚をスレーブロボットのソフトフィンガで検出し、マスタロボットに転送する。マスタロボットは、人間との接触部分に超音波触覚ディスプレイが装備されており、ディスプレイ表面に圧電素子を用いて超音波進行波を発生させることで、すべり感覚を実現する。
本システムにより、力覚および触覚を有するマスタ・スレーブシステムが実現されており、本技術は陶芸における粘土のすべり感覚の計測および提示に応用できる可能性がある。
(中略)
2-5 まとめ
伝統技能には、作品などの有形で静的な部分と、製法などの動きを伴った技、つまり無形で動的な部分の両方が含まれる。本報告では、伝統技能における動きを伴った技能を文化資源と捕らえ、それらの保存、伝承について議論した。
動作や技術など無形の技能は、文章や図表など形式的に表現することが難しいため、熟練者から未熟練者へと共通の経験を共有することで、言葉によらず体験により伝承されてきた。これに対し、近年写真やビデオ映像だけでなく、最新のデジタル化技術や情報技術を導入し、3次元立体映像やバーチャルCGムービーが作成され、動きを伴った伝統技能の保存、伝承に効果があることが示されている。
また、陶芸や宮大工の技能伝承において、視覚系の技術とあわせて、力覚および触覚が技能の保存、伝承に重要な役割を果たすことが分かってきた。そして力覚および触覚の計測、保存、伝達、提示技術について、現状および今後の課題を示した。
本報告では、ロボット工学、人工現実感(バーチャル・リアリティ)、遠隔操作、力触覚計測・提示技術等が文化資源の保存伝承にとても有効であることを提言した。もちろん近い将来実現可能なことと現在の技術では実現が難しいことがあるが、実用化を目指して様々なプロジェクトを進めており、期待感は高い。視覚系映像技術と力触覚系技術が融合することで、様々な可能性が大きく広がることは間違いないと言える。
(以上は、平成16年に発行された、文部科学省「科学技術・学術審議会資源調査分科会報告書」第2章「文化資源の保有」、藤本「2.デジタル化による動きを伴う伝統技能の保有・伝承」pp 54 / 69 よりの抜粋。)